[02 Physical Beats 160 BPM:title]
BPM 値はおおむ. ね安静時の母体の心拍 BPM 値(70〜80)を中心として
赤ん坊にもさーかディアンリズムがあるのではなかろうか、という予測が立ちます。
Perfume BPMで検索すると、また、この方のブログに出くわす。
いちいち私の考えがたどる道筋にこの方の足跡がついているという感じですが、
チョコレートディスコ BPM 128(beats per minuite 分あたり拍数)
今回はメトロノームの話なんですが、
メトロノームは、わたしの家にあるものでは一番遅いのが一分間に40拍、早いものは208拍です。
これは、人間の心臓の毎分拍数の最遅と最速にほぼ対応しており、
音楽のリズムというのは、人間の鼓動に合わせられているというのがよく分かります。
ダイエットを目的とした軽めの運動というのは、心拍数 130程度が想定されており、
このBPMがPOPソング的には王道です。
BPM 124
POPソングとは踊ることを目的としている、もしくは聞いて踊りだしたくなることを想定しているもので、
20分ほど継続して動き続けることのできる程度の拍数、
軽めの運動時のドキドキ感に近しいものを体に生じさせることを目的としてるようです。
[http://www.youtube.com/watch?v=5tMIU_oJY_c:title=ピンボールの魔術師 BPM 127くらい
チョコレートディスコ とほぼ同じBPMの曲に入れ替えてみますと、
大体あってます。
明滅するピンボールの灯をひょうげんしてるように見えてしまいますが、
あんまり面白くない。
曲の展開が似ているというのもあるでしょうけれど、
こっちのほうがはるかに映像と音があっているように思われます。
曲のテンポはかなり違うんで、それにあわせて、映像を数箇所ムービーメーカーでいじったんですが、
テンポあって無くても、なんかあってるように感じられるんですよね、わたし的には。
PVってものは、BPMと動画の動きをひたすら対応させることにキュウキュウしてるものが多いのですが、
映画とBGMの関係ってそんなにがちがちのもんではないですから、
イメージ的に共通性があればそれでいいって物でして
グラムロックと、チョコレートディスコは共通性あるんだとわたしは思います。
ビートルズの『ヘルプ』
を聞きながら車を転がすと、時速45km
ブルースプリングスティーンの『ボーントゥーラン』
、時速40Kmくらいに落ち着いてしまう。
相当激しい音楽だから、もっと速度出してもいいのにと思うのだけれど、あのテンポを私が「車の速度に翻訳」するとそれくらいの速度になってしまう。
変な話なんですが、いわゆる激しい音楽を聴いていると、それくらいのスピードになってしまい、後ろからビュンビュンと追い越しをかけられる羽目になりやすい。
人間の走る速度、
現在の世界記録で45キロ程度だそうだ。
つまり、どれだけ激しい音楽であろうと、その激しさはあくまで人間の身体能力の範囲で収まるものらしい。
ジェット機の窓の光景が、クラッシックの優雅なテンポにあってしまうのは、あれが、人間の身体と無縁な速度だからではないだろうか?
時速800Kmでは、心臓の鼓動では表すことができないのだろう。
『2001年宇宙の旅』では、宇宙船はシュトラウスのワルツに乗ってゆったりと眠るように飛んでいった。
当ブログの関連記事
谷村美月の走る速度とBGMの関係
谷村美月&栄倉奈々主演の『檸檬のころ』のクライマックス。
一行か二行でまとめてしまうと、『檸檬のころ』のストーリーも、この前の回で取り上げた『blue』とそっくりなんですが、
好きな相手に実は彼女(もしくは彼氏)がいた。その事実を知ってしまったら、つらくてどうしていいのか分らない。でも、何とか突破口を見つける。
そういう話です。(谷村美月のパートを軸に考えるとそうなります)
好きな相手に実は恋人がいて、それを知った時に悲しくて、
でも、その片思いの気持を素直に歌詞にしたら、それを彼が学園祭で歌ってくれて、観客がみんな喜んでくれた、
そういう場面ですが、
演奏が始まって、導入部分が終わりアップテンポに盛り上がってくるまでに、観客席で、<−−の方向へ、三組の観客が波状攻撃的に動きます。
この動きが、この後の展開の盛り上がりの予感として提示されているのですが、
「天使」というのは、映画の中で表現されると、実に地味な姿をしているものですし、第一自分が「天使」である事に気がついていないし、自分が何をやっているのかも気がついていないのでしょう。
でも、背中に羽の生えている天使よりも、こういう「天使」の方が、私にはリアリティーが感じられるのですね、なぜだか分りませんが。
そして曲が導入部から展開部に入ったところで、榎本明息子が栄倉奈々の手を握り、
谷村美月が、画面を逆走することになりますが、
そういう展開のさきがけというか予兆として、「天使」の動きが使われています。
『檸檬のころ』の監督はPVなどを撮ってた人で、そのせいもあってか、このライブのシーンはこなれた編集がなされているのですが、
なるほどな、と思わされることが一つ。
ある映画研究家が語ってらっしゃった事なんですが、
映像にどんなBGMをつけても合うものらしい。たとえ画面と音楽がずれていようとも頭の中で補正して合っているように感じるのが人間というもの、
だそうです。
PVの場合、4分間一貫して画面のカットの繫ぎと音楽の拍の間に強い相関関係がある場合、大して気になりませんが、(それでも安い演出だなぁと見ていると感じてしまいます。MTV初期の作品にはそういうものがかなりありました)
映画の場合は、BGMと画面の構成にそんなに強い相関関係がなく、むしろ微妙にずれている事が一つのリズムを作り出しているわけでして、
それが、映画のクライマックスになっていきなり画面と音楽のリズムを統一させられてしまうと、逆に違和感を感じてしまうのです。
画面に疾走感を感じるというよりも、意味不明な気恥ずかしさを感じさせられてしまうのが不思議なところです。
いてもたってもいられなくなって、猛然と走り出す谷村美月。いかにも運動神経のよさそうな走りっぷりに感心。
しかし、
よくよく見ると分かることですが、このダッシュの速度、音楽のリズムと別に合っていません。音楽よりも速いテンポで走っており、むしろ、音楽の疾走感とこの全力疾走感には強い相関関係が有るように感じられます。
廊下を全力で時速三十キロくらいで走られると、マジで危険なんですけれども、
別にそんなわけではないでしょうが、続くカットでは、谷村美月、相当走る速度を落としています。で、よくよく見てみると、彼女の肩の動きが、音楽のリズムときっちりあっているんですね。
音楽のテンポにあわせて走る速度設定して撮影しているわけです。
で、どうなのかというと、最初のダッシュのシーンの全力疾走の感じの方が、音楽と合っているように感じられるんですよ、私には。
階段を何段か抜かして踊場にターンと飛び降りる時の足音が、ドラムの溜めのリズムと重なっています。
体育館のカーテンをバサっと開ける音がやはりドラムの溜めのところと重なります。
なんど見ても、このカーテンを開けるシーンは私には気恥ずかしい。
この気恥ずかしさがどこから来るのかよく分からないのだけれども、気恥ずかしい。
監督だけでなく、谷村美月も何本もPVで演技した事あるから、こういうの慣れているんでしょうけれども、
私は、見ていて気恥ずかしい。
そして、当たり前といえば当たり前のことに気づかされるのですが、結局一番音楽に合う画像というのは、その音楽を演奏している人を映したものということです。
林直次郎ふつうにかっこいいぞ。
もっとも、演奏者をどの構図で撮影するか、そしてどうやってカットをつないでいくかという事を考えると、演奏シーンだけのPVであっても、極めて作為的なものであるのも当たり前の事ですが。
自分の書いた歌詞を片思いの男の子が学祭りで歌ってくれた。そんで、それが観客に受けている。二重の意味でうれしかった谷村美月が泪を流しているシーン。
この頃、まだ美少女の役が多くて、今みたいにブサ役演じていたわけではなかった、というよりも、美少女がブサ役を演じているという裏がはっきりと分るものでした。
んで、全体としては三枚目の役なんですが、〆るシーンではちゃんと美少女然として画面に納まっています。