前回は1月9日に死んだ人のことを書きました。
今回は1月10日に死んだ人のことを書きます。
このブログの題名に「中二のため」という言葉がありますが、
わたしにとっては、中二病とはデビッド・ボウイのファンであること、という定義が一番しっくりきます。
日本は教育レベルが高い、多くの内外の人たちがそんな風に思い込んでいますけれども、実のところ、
日本の大人って、文系に関して言うならほとんどの人が高校の授業の内容を活用することなくほとんど忘れてしまいます。いや、そもそもまともに高校の授業理解している人もあんまりいません。
そして中学三年生の授業カリキュラムは、その半分以上が思い出作りの行事と高校受験のための復習に充てられますので、
実際のところ日本の大人の大半は、中学二年生と知的レベルは大差ないはずです。
そしてこれが、中二病と言われるものの大きな原因の一つであり、
「自分は、どう考えても世の中のことがおかしいと思うのに」という疑問が湧きはしても、
中学校二年生には実体験が欠如していますし、狡猾さも足りないので、簡単にある種の大人に言いくるめられてしまいます。
その結果、つまらない大人にすくすくと育つ人もいれば、
デビッド・ボウイのファンになる人も出てくるというわけです。
眉毛剃って、こんなメイクで、変態おかまジャンキーのキャラなのですから、
中の人の実態が、実は子供好きの気さくな常識人というのは、すごく奇妙なんですが、
それゆえに、彼の歌詞にある「子供たちは人類の宝もの」みたいなメッセージに中二病の人は素直に耳が従うのでしょうか。
デヴィッド・ボウイの死に際して、私が今回取り上げる映画は『クリスティーネ・ F』
東西冷戦期に共産圏の中の飛び地だった西ベルリンの女の子の実録を基にした映画です。
クリスティーネは、中学二年生でジャンキーになり、薬代を稼ぐために売春に手を出しました。そして、彼女はデヴィッド・ボウイのファンでした。
ということで、映画のBGMのほとんどはデヴィッド・ボウイの曲。そのうえ主人公がデヴィッド・ボウイのライブに行くシーンでは、彼本人が出演しています。
デビッド・ボウイは70年代後半に、ジャンキーの治療もかねてベルリンにすみ、そこでいくつも優れたアルバムを制作しました。
この映画では、ベルリンで録音された曲が主としてBGMに使われているのですが、
私には、下の曲の方が、この映画の主題歌のような気がしてしまいます。もしかすると監督もこの歌詞を意識していたのかもしれません。
(こちらの先生のブログ、面白いです。そして勝手に貼らせていただきます)
そのくすんだ髪の女の子にとっては、それは全く取るに足らない出来事だけど
彼女の母親が叫んでる「いやよ」 父親は出て行けって言ってた
でも友達はどこにも見当たらない
果てた夢の合間を縫って、見晴らしのいい特等席へと歩を進める
そして銀幕に目は釘付け
なのに映画は悲しいほどに退屈
少女はそんなの十回以上も経験してきたんだもの、
その愚か者達が少女にこう言おうもんなら、愚か者達の目につばを吐きかける事だって出来る
ダンスホールで喧嘩してる船乗り達に注目してくれ
何て事!あの乱暴者たちをご覧なさいよ
最高に奇妙なショー
見てご覧 警官がお門違いの人をやっつけてる
嗚呼!彼は一体分かるのかしら
大人気の映画に出ていることを
火星に生命体は存在するのかな?
『クリスティーネ・F』の前半はほとんどひっきりなしにデヴィッド・ボウイの曲が流れます。
あたかも、主人公の日常で感じる違和感や退屈や絶望をくるむオブラートの役目をデヴィッド・ボウイの曲が担っているかのよう。
後半、主人公が家を出てセックス&ドラッグの生活にどっぷり浸るようになるとBGMが極端に少なくなります。
それが、彼女の違和感や絶望感と対峙せざるを得なくなった状況をサブリミナル的に表現しているように感じたのですが、
ダークサイドに堕ちた彼女の髪は、それまでのサラサラの金髪から
ゴテゴテのオレンジ色に変わります。
デヴィッド・ボウイのファンなら当然この色に髪を染める、というのは私にはよく分かります。
変態おかまジャンキーのキャラのロックスターが子供賛歌を歌う違和感、それがデヴィッド・ボウイの大衆的人気の秘密だとして、
彼に憧れた子供たちが、本当に薬や変態セックスに手を出して帰ってこれないところに行ってしまう、
なんともむずかしい、やるせない話です。
バカな親に育てられたバカな子供が、危険薬物に手を出して人生棒に振った、
それだけの話と切り捨てる人もいるとは思いますが、
東西冷戦期って、いつ核戦争が始まってもおかしくないって言われてた時代で、その最前線が西ベルリンだったこと考えますと、
たとえ14歳の非行だろうと、その抑圧感の源泉には、核戦争の恐怖があったわけで、
世界の一番頭のいいはずの人たちが、核戦争で世界吹っ飛ばそうとしているとリアルに感じられた時代に、
こういう14歳の一見するとばかばかしい在り方を、私たちはあまり責めることはできない、そう思ってしまいます。
だからと言って薬物過剰摂取で14歳で死んでしまってもしょうがないんですけどね。
じゃあ、こういう14歳に何というべきなのかというと、
デヴィッド・ボウイの『ロックンロールの自殺者』でも聞いてみてください、としか言いようがありません。
David Bowie – Rock 'n' Roll Suicide, taken from ‘Ziggy Stardust The Motion Picture’
というか、こんなケースにこれ以上適切なことを言える人もほかにはいない、というかもうこの世にはいなくなってしまいました。
寂しいです。
地下鉄の壁に貼られたデヴィッドボウイのライブ告知。
家にいるときの私には、デヴィッド・ボウイのメロディだけが安らぎだった。彼の曲を聴いているとき、私は普通の女の子に戻れた。
そうそう、デヴィッド・ボウイのファンに限らず、中二病的なファンって、こういう表情するよね。
好きとか、憧れとか、陶酔とか、そういうものだけでなく、
「自分の崇拝する対象ってこんなにも素晴らしいんだぞ」的な優越感を周囲に見せつけるような笑顔。
ドイツ外務省がデヴィッド・ボウイの死に際し、
「壁を壊すのを手伝ってくれてありがとう」と追悼ツゥィートしました。
言うまでもなく、冷戦期のベルリンの壁の前でデートの待ち合わせをする恋人たちについての歌『ヒーローズ』のことなのでしょうが、
この映画でも主題歌扱いで『ヒーローズ』が二度使われました。
『ヒーローズ』と言えば、ロンドン・オリンピック開会式でUK選手団の入場のBGMに使われていました。
あの開会式を監督したダニー・ボイルは、かなり間際までデヴィッド・ボウイに出演交渉してたそうです。結局デヴィッド・ボウイは出なかったんですけどね。
Team GB enter the Olympic Stadium - Opening Ceremony London 2012 'We could be heroes'
ほとんど第二国歌待遇でした。
David Bowie - Heroes (Live AID)
1985年のライブエイド。
「世界中の子供たちにこの曲をささげます」
ただ、この時は、一つ前の演者のQueen程には盛り上がらなかったのが残念でした。
David Bowie, Live Acoustic "Heroes"
こちらは1996年。NYでの、障害を持つ子供たちのためのチャリティコンサート。
「一日だけなら英雄になれる」って詞、
昔は、それこそ『クリスティーネ・F』の結末みたいな意味だと思っていたんですが、
いい年齢になってしまうと、「一年に一日くらいは自分の体面とかキャラを無視して何かいいことしましょうよ」みたいな意味思えてくるもんです。