円谷幸吉という人がいました。東京オリンピックのマラソンの銅メダリストです。
彼は、次のメキシコオリンピックで銅メダル以上の結果を期待されたのですが、けがに悩まされ、「もう走れない」と自ずから死を選ばれました。
市川崑監督作 『東京オリンピック』円谷幸吉は1分10秒のところ。
私の生まれる前の人物なので、この程度のことしか知りませんでした。
そして『あまちゃん』で尾美としのり演じる正宗君が夏ばっぱにお別れの挨拶をする時の口上が円谷幸吉の遺書のパロディだと知るまでは、
円谷幸吉の遺書について、私は何も知りませんでした。
正宗:じゃあ、お母さん。お世話になりました。ウニ丼、あら汁、まめぶ汁、おいしゅうございました。それから下着を洗濯してくれた事、電気毛布の暖かさ…
なつばっぱ:長くなるか?寒いがら長引くようならちょっと着てくるから
大吉:春ちゃんのことは俺に任せろ!
正宗:任せるかどうかは別として…天野家の事、夏さん、春子さん、アキを見守って下さい
こちらは円谷幸吉のオリジナルで、
父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。
敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。
勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。
巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。
喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。
正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になってください。
父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒 お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。
クドカンによるパロディは、食べ物の名を列挙するだけでなく、洗濯のことにも触れており、また、甥姪の名を列挙してその将来を願う箇所も「夏さん 春子さん アキ」のことを大吉に頼むことに変換されています。
かなりしつこい念入りなパロディなので、
つまりここまでパロディしてしまうと、
「正宗は天野家の皆さんの側で暮らしとうございました」という台詞が、視聴者のこころに浮かび上がってくるようです。
ご馳走って言葉の本来の意味は、おいしい料理を供するために必要となるあれやこれやの苦労や手間暇のことで、
美味しい料理、あったかい料理には、作る側ご馳走する側の労した心配りが簡単に見て取れるものです。
食べる側がそれを読み取ることで、ご馳走を介した人と人とのコミュニケーションがなりたつのですが、
そのことを了承してみると、この円谷幸吉の遺書は、人が人にお別れをする際の言葉としては、なかなかいいものだという気がします。
そして、いろんな人が、この円谷幸吉の遺書を名文だと絶賛しています。
川端康成とか三島由紀をのように、この数年後に自死した人たちがこの遺書を絶賛するのは当然なのかもしれませんが、
こちらは、河合隼雄が絶賛しているという話
http://members.jcom.home.ne.jp/matumoto-t/kawai8.html
で、この人たち、そして私の第一印象もたぶん誤読らしいんですが、
実のところ円谷幸吉が列挙している美味しゅうござった食べ物って、
死ぬ数日前に食べた正月料理らしいんですね。
円谷幸吉は昭和四十三年一月九日に練馬区の自衛隊体育学校で自死。
その直前の年末年始は福島の実家で過ごす。一月四日に東京に戻っていた。
彼の列挙する美味しゅうござった食べ物の最初に出てきたのは、
三日とろろ
正月の七日目に年末年始の暴飲暴食から体を労わるために七草粥を食べますが、
場所によっては、三日目に早くもとろろ芋ご飯を食べて胃を労わるそうです。
恐らく、この三日とろろって、円谷幸吉にとってのご馳走だったという以上に父母との最後の食事だったのかもしれません。
正月に親族が集まって、一緒に年を越す、
数週間前から美味しいものを各各が準備しておき、みんなで持ち寄る、
その様が、
干し柿 もち おすし ブドウ酒 リンゴ しそめし 南ばんづけ ブドウ液 養命酒 紋甲いか という列挙なのでしょうが、
これらの「ご馳走」のリストを見て思うのですが、
なるほど昭和もバブル以前は質素だったんだという以前に、これらは、いわゆる美食の類じゃないですよね。
あと、ぶどう酒とぶどう濃縮ジュースがダブっているのも何か変です。
円谷幸吉は、おいしいものを書き連ねていたわけでもなく、
まして、食い物以外に人生に楽しいことのなかった人の訳では当然なく、
人が示してくれた気づかいや温かさにいちいち反応しないと気が済まない繊細な人だった様に私には思われます。
遺書からもうかがえることですが、彼は七人兄弟の末っ子で、
家族内の一番年下って、非言語コミュニケーション能力の突出したモンスターみたいな繊細な人になる確率が高いのですが、彼もそうだったのかもしれません。
養命酒についてですが、
さすがに、養命酒が美味しゅうございました、ってわけないじゃないですか。
たぶん、親族の人たちも円谷幸吉の体調のこといろいろ気遣って、体にいいものを正月に持ち寄ったのだと思うのですよ。
そして、多分円谷幸吉は、その心遣いを有難いと思うと同時に、その心遣いに報いるような走りが二度とできないことを知っていた故につらかったのかもしれません。
三日とろろ、養命酒、ぶどう酒にぶどう液、
どうということのない名詞の羅列なのですが、裏には深いドラマがあるのでしょう、きっと。