スピルバーグとかジョージ・ミラーの映画に黒澤からの流用シーンを見つけるのはたやすいのですが、
そういうオマージュは前世代の作品からやるもんだと私たちは、というか少なくとも私は思っていたのですが、
そして、同世代の作品から流用することは、オマージュではなくパクリとみなされるゆえに一流監督なら忌避するもんだと、私は思っていたのですが、
ジョージ・ミラーのインタヴュー読んでいますと、
スピルバーグの『激突』(1971)を参考にした、とあっけらかんと語っていました。
前世代、特にサイレント映画から流用したら映画史の継承として知的に高く評価され、同世代から流用したらオリジナリティ無いパクリと看做されるというのは、よくよく考えてみると理不尽なことです。
ていうか、そういう批評の仕方って、古い映画たくさん知ってることだけが取り柄の映画評論家の都合にすぎないのかもしれません。
『激突』
たしかに非常によく似ています。でも、『マッド・マックス2』の方が遥かに面白いです。
まあ、スピルバーグとジョージ・ミラーは『トワイライト・ゾーン』で交流ありました、というかスピルバーグがジョージ・ミラーをハリウッドに呼び寄せたというべきでしょうか。
知らん人たちに簡単に説明すると、
『トワイライト・ゾーン』ってアメリカの有名なSFテレビドラマで、一本30分の短編ものです。
日本の『ウルトラQ』の元ネタになっていますので、もしかすると、ウルトラマンシリーズは『トワイライト・ゾーン』なくしてはあり得なかったのかもしれません。
そして、スピルバーグは子供のころワクワクしてみていた『トワイライトゾーン』をオリジナルの枠通りに30分の短編を四つ組み合わせるオムニバス形式で映画化しました。
四つのうち一つは自分が監督しましたが、残りの三つは他の監督に割り振り。恐らく自分と同世代のなかで、今後ガンガン伸びていくだろう人をピックアップしたのだと思われます。
その中で、一番盛り上がるエピソードをジョージ・ミラーが担当しました。
そのエピソード、『高度2万フィートの悪夢』ですが、リチャード・マシソンの脚本作品で、奇遇なことに『激突』の脚本もマシソンの作品です。
ちなみにいうと『アイ・アム・ザ・リジェンド』『オメガマン』『地球最後の男』は彼の小説の映画化です。
ドラえもんの『独裁スイッチ』ってエピソードは、それら作品からのイタダキものですから、リチャード・マシソンいなかったら存在していないはずですよ。
テレビドラマの映画化、でテレビのテイストを棄損しない旨の映画化ですので、
テレビドラマ風の饒舌なBGMです。
マッド・マックスシリーズで悪役が死ぬときに、目の玉びよーん状態になるのですが、
ここでもそれが行われています。
ていうか、スピルバーグから直々に
「あれ、面白かったからまたやってっちょ」とリクエストされたそうです。
飛行機の翼に、こういう怖い化け物がいたので、ジョン・リスゴ―が目の玉びよ~んになったのですが、
このショックの間合いは、
『マッド・マックス2』で野生児がトラックのボンネットの銃弾を拾うのを本能からためらうシーンとだいたい同じです。
今になってみると、スピルバーグとジョージ・ミラーは全然違う資質の持ち主だというのが分かるのですが、
30年前では、ジョージ・ミラーってスピルバーグの補欠要員の役割を世間から期待されていたのかもしれません。
マッドマックスって、お下劣なインディージョーンズみたいな捉えられ方してたとこもあったかもしれません。
『マッド・マックス2』の序盤でオルゴールを拾うシーンですが、
この死体が転げ落ちる間合い、
こちらは『ジョーズ』の死体がボートの割れ目から飛び出るシーン。
『トワイライト・ゾーン』の『高度2万フィートの悪夢』って、飛行機の客室内だけの密室劇じゃないですか。
どうして全力疾走のアクションに才能を発揮するはずのジョージ・ミラーにスピルバーグがこのエピソードを割りふったのかというと、
『激突』って一本道でのトラックと乗用車の追っかけっこで、主人公の居場所は操縦室内の極めて狭い空間に限定されています。
つまり、窓の外の景色は一応それなりに代わるけれど、
ほとんど一人芝居の密室劇なわけです。
そして『マッドマックス2』にしたとこで、カーチェイスが一本道でなされているわけで、
実のところ、密室劇みたいなものなのでしょう。
そういうこと考えたうえで、スピルバーグはジョージ・ミラーにこの仕事割りふったんだと思いますが、
でも、ジョージ・ミラーって単なるスピルバーグの補欠要員ではなかったんですね。
そして、インディージョーンズシリーズとマッドマックスシリーズのファンってのも、全く同一の人たちじゃなかったんですね。
こんなの今になると、当たり前に分かることにすぎんのですが。