さっきの話の続き

人は絵画に見入るとき、静止画像的な絵を脳内で妄想動画に発展変形させている可能性がある、

ということをさっき書きました。

 

近代絵画ですと、人間の目の機能に沿ったものが多いです。

つまり、焦点を合わせる事で焦点の外側がぼやけてしまう。

それによって、絵画を描いている人が絵の中の何を意識的に見ているのかを示し、その意識を見る人に読み取らせるわけです。

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それとは逆に、ぼんやりと描かれる部分は絵を描く人の無意識的な部分と対応しているとも言えます。

 

 

それに対し、前近代的絵画だと画はパンフォーカスであり、

すべての部分に焦点が合っています。

つまり、現実的な人の視界を在り方を模した画ではありません。

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この絵巻物のような絵画を見るには、どうしても視線が動かざるを得ないわけです。

そして視線を動かすということは、どうしても絵画を見るのにそれなりの時間がかかる。

つまり何が言いたいのかというと、このような前近代的絵画というのは、静止画でありながら、見る人の頭の中では動画的に受け止められる必然性があるらしいということです。

 

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絵画そのものは動きはしませんけれども、画上のいくつかのポイントを視点が移動するようにできている絵画というのは、見る人の脳内で動画的に受け止められやすい、

いや、動画的に受け止めようとしない限り前近代絵画は楽しめんのだろうなと思われます。