2013-07-01から1ヶ月間の記事一覧

『時をかける少女』 

この回の続きです 「映画の解釈は個人個人によって違うものでしょ?」といういい方もあると思います。究極的には「人生の意味の解釈って心の持ち方次第でしょ」というのと同じだと思います。ただしかし、映画のスクリーン上の光景は、私たちの日常の目の前の…

『誰もしらない』 執拗に繰り返される赤色 おそらく本来あったはずの出口

優れた映画なのですが、ひどい話しです。ひどい話なのですが、ウィキで巣鴨置き去り事件について読むとさらにひどい話で、鬱になります。え逆から言うなら 映画には出口が示されていたはずなのですね。 置き去り事件だと、長女の年齢は8歳。長男が14歳だ…

『続・エマニュエル夫人』  『檸檬のころ』 BGMのBPM

このシーン BPM(心拍数)100くらいでしょうか?Фильм Эммануэль 2 (1975) メトロノームの目盛を見ると下限が40上限が208で、これは一般的な音楽のBPMの範囲であると同時に、生きている人間の心臓が一分間に可能な拍動数の範囲でもあります。 椅子に座ってい…

晩年の黒澤作品について思う

黒澤明作品については、周期的に全部肯定したくなる。周期的ということは、どういうことかというと、70年代以降の作品群については全否定したくなる季節が定期的に私に訪れるということでもある。 「オジサンノコトシラナクテスミマセンデシタ」画面が左右の…

『ガンダム大地に立つ』 富野原則について検証

富野由悠季『映像の原則』には、 画面には 上手下手があり、← が上手で 巨大さ 強さ 等に親和性が高いということが書かれています。 では、彼の画面構成理論では物語には統一的な方向があり、それを追求する場合には ←方向、それができない場合は →という発…

富野由悠季 『映像の原則』 再読

キネマ旬報ムック【2500円以上送料無料】映像の原則 ビギナーからプロまでのコンテ主義/富野由悠季ジャンル: 本・雑誌・コミック > エンターテインメント > 映画 > 映画撮影・制作ショップ: オンライン書店boox価格: 1,890円楽天で詳細を見る 「小さな個性…

『大脱走』  「鳥のように自由に」と陳腐なことばを呪文のように唱えること

わたしがこの映画について語るとどうなるのかといいますと、 当然この点に着目します。 トンネルは どちらの方向に掘られるのか? トンネルは狭いですからカメラの置き場所が極めて限られます。また薄暗く背景が存在しないも同然ですから、トンネルを掘る方…

「北枕」 起死回生 魔界転生

一章の『映画の抱えるお約束事』 で触れてありますが、← ← ← と継続した流れが断絶して、→方向に転換した場合、観客はだれも画面の進行方向を気に留めていないですが、その代わりに無意識的な何かが切り替わった、と錯覚してしまうのが映画というものです。…

上座 下座

現在の日本映画・テレビドラマでは 画面上にこのように人物が配置されることが通常です。この話を、当ブログで書いたところ、 「それって舞台の上手下手の映画版でしょ?」で、すんなり了解される方もいらっしゃるようなのですが、わたしには、それって、画…

『時をかける少女』 原田知世版 1983

原田知世、 剛力彩芽ととことん似ている。 それだったら、剛力彩芽で時をかける少女をリメイクできるのかというと、今の時代はそれを許してはくれないでしょう、というか、今の時代だったら原田知世の『時をかける少女』でさえも許してはくれないでしょう。 …

『時をかける少女』 映画はなぞに満ちている

先代「時をかける少女」の叔母さん。物語の目的を見通した人物、 主人公と目的意識を同一にする人物であることを表すために、←のカットで初登場。 映画の画面は右に動くか左に動くかの二者択一をすべてのシーンに於いて行っています。どうして横の動きだけで…