高峰秀子が自伝の中で、太平洋戦争中に、日本軍が東南アジアの映画館で押収した『風と共に去りぬ』の極秘上映会が内内で行われていたことを記しています。
それ見て、「日本はアメリカに絶対勝てない」と観念したそうですが、
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でも、映画は直接人殺す武器ではないですから、そういう発言あんまり真に受けても仕方ないんですが。
ちなみに、
Natasha and Andrei's Waltz: War and Peace ...
ソ連の制作した『戦争と平和』。これ見て、ソ連は冷戦に勝利すると思った人たちもいたのでしょうか?いたんでしょうね、たぶん。
『風と共に去りぬ』は制作費に糸目をつけない大作なのですが、
戦争中は、プロパガンダとしてそういう作品がいたるところで製作されます。
ただ、普通の国ですと、いかにも戦意高揚といった感じのいかめしい作品に大金が投じられるのですが、
『風と共に去りぬ』は基本的に、女子供向けの作品である所に、当時のアメリカの経済力の余裕を感じさせます。
また、太平洋戦争開戦前の日本とアメリカの国力の目安となる映画というよりかは、
南北戦争のチャリティーでアトランタで舞踏会やっていた時期の日本って、維新前でええじゃないか踊りやっていた頃でして、
そういう歴史的事実を思いますと、
勝てる相手ではなかったな、と思いを新たにするところです。
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どうして、アメリカ南部のプランテーション農家が人類史に残るようなぜいたくな暮らしをしていたのか?ということですが、
綿花の栽培を黒人奴隷を使って行っていたからなのですが、
私たちは現在、
木綿の衣服をあたりまえのものとして消費し、破れもほつれもしていなくとも、1シーズン2シーズンで捨ててしまうのですが、
木綿の衣服がいくらでも手に入るようになったのは、『風と共に去りぬ』の話の十年くらい前のことだったりします。
軽くて保温性に優れ給水力もいいのが綿製品で、今のユニクロのヒーテック以上のインパクトがあったはずです。
ちょっと想像してみてくださいよ、布がすべて麻で、布団カバー、下着、タオルまでがざらざらの繊維の生活ってものを。
日本の場合ですと、江戸時代に北前船が北海道からニシンを運んできて、その高価な肥料を畑にまくことで初めて綿花が生産できました。
ヨーロッパですと気候が寒冷ですから、綿製品はインドからの輸入品。産業革命以降、イギリスは綿製品を大量生産できるようになるとアメリカから綿花を大量に買い付けるようになりました。南北戦争前のアメリカの輸出は約半分が綿花だったそうです。
外国にキラー商品として綿花を売りつけ、自分たちは奴隷で生産費を安く抑えていたのですから、
今の中国の大工場主のような金持ちが当時のアメリカ南部にはたくさんいたということになります。