カタカナ題名が違和感な『醜聞スキャンダル』ですが、
黒澤明といえば三船敏郎、三船敏郎といえば黒澤明というくらい切っても切り離せない二人ですが、
三船はサムライ役ばかりやっていたイメージがありますけど、彼のデビュー当時は時代劇が軍国主義的であるとしてGHQに禁止されていた時代であり、
『七人の侍』でのワイルドなサムライの印象が決定づけられる以前には何本も黒澤の現代劇に出演しています。
そういう違和感もあって、この時期の現代劇はあまり語られることがないのですが、
『醜聞スキャンダル』何が一番違和感あるかといいますと、主演女優の李香蘭こと山口淑子。
知らない人のために書いておきますけど、中国生まれの日本人で、中国人の養子になり、完璧に中国語を話せたゆえ、満州国時代に日本に好印象を植え付けるためのプロパガンダ映画に多数出演した人です。
しかも日本女優史上最も海外で成功した人で、中国人のふりして満州映画に出て、中国人のふりして日本映画に出て、中国人のふりして中国映画に出て、戦後は日本人として日本映画とアメリカ映画と香港映画に出ました。
日本人でありながら中国人として生きるという、いわば人生の前半生を演じ続けた人で、それゆえ役者としての能力は誰もが認めるものですし、そのうえ歌手としても一流、もちろんすごいレベルの美人なのですが、
存在感が日本人離れしているというか、日本映画に普通に出演すると浮いてしまうといいますか、本当に外人に見えます。
前回の『わが青春に悔いなし』の回で高峰秀子が中国人のふりして歌うたう映画のビデオクリップ紹介しましたが、
こちらの李香蘭と比べると、あれ、学芸会レベルだなあという感じです。
李香蘭、ほんと、中国人にしか見えません。
前回、二代目原節子を沢口靖子が襲名していたらどうなったか?そして沢口靖子も40くらいで引退していたら、三代目原節子を誰かが襲名してたのだろうか?ということを楽しく妄想していたのですが、
李香蘭、彼女の人生そのものは彼女の出演した映画の10倍以上面白いもので、その点が李香蘭というか山口淑子の女優としての欠点なのだろうな、と思うのですが、
李香蘭の出演作品をリメイクしようという話がなく、
彼女の人生をドラマにしようという話ならいくつかあるんですよね。
彼女の人生をドラマにして演じた女優が今まで二人いまして、
二代目原節子を襲名するはずだった沢口靖子。顔的には李香蘭というよりかは原節子なんですが、もしかして歌いだすのかな、歌いだしたらどうしようと恐れおののきながら見てしまいました。
『あまちゃん』での薬師丸ひろ子がスーパー音痴って設定は、沢口靖子の超絶音痴ぶりを元ネタにしてるんじゃないか?というも説もあるそうで。
三代目李香蘭ってとこでしょうか。おばあちゃんが沖縄民謡の歌手ということもあり、上戸彩の歌はまあまあ。中国語もまあ合格。
しかし、へらへらすんな李香蘭ならもっとシャキッとせんかい、という不満は残ります。
李香蘭のドラマ化二〇年に一回ずつやって、事実上の李香蘭襲名式代わりにしてほしいとこです。
また、李香蘭を脇役にしたドラマですと
こういう方も演じています。
天海祐希獻唱何日君再來Yuki Amami sings "When Shall You ...
またこういう方も脇役としての李香蘭を
黒澤作品について語るはずが、李香蘭についてばかり語ってしまう。『醜聞スキャンダル』ってそういうレベルの作品でして、
ダメ弁護士の志村喬の家の前にある沼は『酔いどれ天使』と同じですし、
ダメ弁護士が土壇場で改心するところは『生きる』の課長さんの改心ぶりと同じですし、
千石規子が片思い的に三船を慕う役というのも、いったい何度目でしょうか?
ほかの作品で見たような要素がたくさんあり過ぎ、またそれら要素が『生きる』や『酔いどれ天使』ほどには上手くいっていないので、あまり印象に残らない作品です、
決してつまらないというわけではないのですが。
映画の進行方向は → なのですから、映画のゴールは向かって右側にありますし、主人公はその方向を目指します。
だから、希望の光の差し込む窓は、常に向かって右側。
これは黒澤作品のお約束事となっています。
この画面進行方向に関しましては、
の回についてまず読んでいただきたいところです。
この映画で向って右側の窓から差し込む光は、純粋な少女の存在ということなんでしょうか。言葉にすると気恥ずかしいですね。
そして、黒澤明は健気に頑張る少女を描くのが好きなようで、女のねちねちした情念みたいなものには近寄らなかった人です。
作中で桂木洋子演じる病弱な少女を、天使と呼んでいますが、
彼女が天使であるかどうかは、観客自身に判断させるべくうまく誘導していくのが映画のテクニックなわけで、あっさり台詞で言ってしまうと説得力がありません。
桂木洋子と比べると山口淑子、男に助けてもらう必要などなさそうなやたらと強い女で、まあ中国の女って気が強いですから。
二人が出会ったときに彼女が歌っていた『君を知るや南の国』をその後何度も歌いなおさずにはいられない。
つまり、このスキャンダルになった二人は、実のところ好き合っていて、
それだったら、そのまんま付き合っちゃえよと見ていてじれったい。
この年に二本、その前の年も二本で、時間あんまりなかったのでしょう。二年後の『生きる』と比べるとかなり出来の悪い脚本です。
黒澤明って、助監督時代に高峰秀子とごく短い期間付き合っていたそうなんですが、高峰秀子のステージママ、それに東宝の上の人から、関係を終わりにさせられたそうです。
この話って、その実体験もとにしているようです(まあ、それこそ堀北真希か上戸彩と浮名を流すレベルのうらやましい話なんですが)。
戦後しばらくの、黒澤作品に出てくるモチーフで、
好きなんだけど、好きあってるんだけど、えっちしない男女関係(『素晴らしい日曜日』『静かなる決闘』『醜聞スキャンダル』)って、
こういう個人的な体験を元ネタにしているんでしょうね。
それゆえ、部外者にはわかりにくかったり、現代人にはなおさら分かりにくかったりするのでしょう。
スキャンダル というカタカナタイトル。それにオートバイの疾走。そういうものに戦後の新しい時代のニュアンスを込めたのだろうと思われるのですが、
それだったら自由に恋愛に突っ走ったらどうだ?とみてて思うのですが、
黒沢作品ってよくよく考えてみますと 恋愛を中心に据えた作品って実のところないのではなかろうか?
死後に残された脚本の『海は見ていた』ぐらいだろうか?と思います。