このブログは、自分の中では既に情熱が切れてしまったものですが、
どのようにかかれたのかについて説明したい情熱と欲求は、今、かなり持っています。
とりあえずの方は こちらよりどうぞ。
私は一昔前はかなりな映画ファンでした。それを人生の仕事として選択しようとは考えませんでしたが、映画を職業に選択しない人の中では相当に映画が好きな部類でした。
そして、よくあることですが、いつの間にか映画を見なくなってしまいました。
映画の中のフィクションよりも現実のほうが大切だと思えるようになったということなのかもしれません。
まあ、それでもときおりぽつぽつと映画を見ることはありまして、
えらそうな内容の映画とかは敬遠して、好みの女の子が出ている映画をたらたら見るだけという日々が何年も続いていました。
そんで、気がついたら何年間も映画館に行っていなくて、シネコンの夜の回だと1200円で映画が見られることを知らなかったんですが、
ためしに一回行って千二百円でみたんですよ。
それが『おにいちゃんのハナビ』という谷村美月と高良健吾の出演作で、
シネコンの夜の割引の回で、私以外に誰も観客いなかったんですが、
はじめの内はなめてかかってたんですけれども、これが泣けてなけて仕方がない。
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そして、そのとき、どうして自分がこの映画に泣けるのかがよくわからなかったんですね。
最初は、谷村美月が自分の好みにぴったりだからだろうと考えました。まあ確かに好きなタイプでは有るんです。
それで翌日にツタヤにいって、ありったけの谷村美月のDVDを借りてきて見ることになるのですが、
これが驚くのなんの。
たかだか十代半ばの女の子が、ありとあらゆるへんな役を演じていて、そのどれもにそれなりの説得力が有るのです。
私は谷村美月のことを天才少女だと思いましたね。
そして、たかだか十代半ばの女の子がいったいどのようなマジックを使ってだいの大人を泣かせたり感動させたりしているのか、丹念にチェックしてみたい衝動が抑えきれなくなり、
DVDみながら彼女がやっている演技をすべて調べてみた。
立ち位置、瞬き、視線の動かし方、手の動かし方…、
そういうことやっている内に、「ああっ、おおっ、こ、こっ、これは、もしかして…」と気がついていくことになるのですが、
谷村美月の主演作『カナリア』を見ていて、東海道線上りで関西から東京に向かう電車が、<−方向に進んでいるシーンを見つけてしまったとき、これは北を上にして地図を書いている私たちの日常感覚からすると逆の方向です。
つまり、画面の進行方向には明確な目的が仕込まれているらしいということですが、
そして、そこから類推して宇宙戦艦ヤマトのポスターの向き、時をかける少女の走っている方向、…。
だいたい、ここまでに1ヶ月半ほどかかっています。毎晩毎晩谷村美月漬けではたから見ると変態にしか思えなかったでしょうが、
一ヵ月半で映画の画面に進行方向を見つけられたのは早かったのか、それとも遅かったのかは、私にはよくわかりません。
ほとんどの人は、一生こんなこと思ってもみないまま死んで行くでしょ?
私は、自分の発見したことを父親にも話してみたことがあります。
どうも、彼はこの内容が理解できなくて、そして理解できないまま癌で死にました。
人生で何か発見することってなかなかないもんですが、私の場合は、映画の画面の向き発見することにそのツキを使ってしまった可能性があります。
だとすると悲しいことなんですが、
それはいいとして、
当然のごとく、ほかの映画でも自分の思いついたことが正しいのかをチェックしてみるのですが、
『2001年』のディスカバリー号の進行方向、『タクシードライバー』の車の動く方向などから、
どうやら洋画は日本映画とは方向が違うことを見つけました。
邦画と洋画では進行方向が違うことに確信を得たのは、「ああっ、おおっ、こ、こっ、これは、もしかして…」の当日内です。
これには時間がかかっていません。
なぜ
邦画と洋画で進行方向が異なるのかについては、文字を書く方向が左右逆だからだろうということにすぐに思い当たり、
最初にやったことは、自分の本棚からマンガを取り出して、その絵の進行方向を調べてみること。
ちょうどいい具合に藤子Fの『ミノタウロスの皿』とベルギー人の書いた『タンタン冒険』では進行方向が逆になっています。
そしたら、漢字圏の映画は日本と同じように<−に映画が進むのだろうかとすぐに思い立って調べてみるのですが、
自分が所持している中国香港台湾韓国北朝鮮の映画をいろいろチェックしてみるのですが、
どうも、日本一国だけがこのように特殊な<−方向の映画をとっているようにしか思えませんでした。
香港、中国はいいとしても、
世界から孤立が長い北朝鮮もまあいいとしても、
台湾と韓国の映画はその黎明は日本映画につながっているものでして、
そんなら台湾と韓国は絶対に日本と同じく<−進行だろう?とめぼしをつけるのですが、
これがなかなか方向が見えてこない。
時々ポツリポツリとー>方向に設定された映画を見つけることになるのですが、
「旧植民地日本映画の名残はないのであろうか?」と感じ、
次に、満鉄が中国で製作していた映画をチェックしてみるのですが、
李香蘭の映画を見ると、映画がー>と洋画と同じ方向に進行しているのですね。
これで、また私は分からなくなってきました。
もしかすると私が、見つけたと思った大発見は、単なるよくできたほら話に過ぎなかったのだろうかと思いつつも、
満鉄と同時期の日本映画、もしくはその後の白黒日本映画を何本も見ていったのです。
その結果、私がたどり着いた結論は、日本映画は進行方向をー> 向きから <− にチェンジしているというもの。
私は、この発見に完全に夢中になってしまいました。
つまり何が言いたいのかというと、
私のブログの『映画が抱えるお約束事』を読まれて、ドヤ顔で私の理論のあらを見つけたみたいに一行二行書き込まれる方がいらっしゃるのですが、
それらの方に対して忠告いたしたいのですが、
「登場人物が上司の部屋に入室するときには左右の向きが逆になる」とか『ブルーマックス』という映画ではドイツ軍とイギリス軍の向きは地図上のイメージと異なる、というような濃い内容のことをすべて自分で調べて書き込むような人物は、
あなたがこのブログを一度飛ばし読みした後にドヤ顔で一行二行書き込むようなことは、当然思いついていますし、検証もしています。
そして、このブログのほかの箇所をお読みになられるようでしたら、どこかにあなた方の疑問に答えることはたいてい書かれています。
その程度のことは、類推できてしかるべきでしょう?
そして、映画を見るたびに画面の進行をチェックし、いちいちその映画の画面構成の仕組みに驚き、興奮し、そのことを周囲の人たちに話そうとするのですが、
正直、誰もまじめに聞いてくれませんでした。
酒飲みながらこの話をすると、かなりの人が私のことを酔いがしたたかに回ったか、頭おかしいくらいにしか思っていませんでした。
それで、仕方がないのでブログにぽつぽつ書いていくのですが、
書き始めた時点では、まだこの理屈が完全にはまとまってはいませんでした。
それゆえ最初のほうに書いて有る内容と最後のほうに書いて有る内容には食い違いが見られる点も多々有ると思いますが、その点はご了承ください。
そして、このブログを読んで、「面白かった」とほめてくださった方々。そういっていただけると正直うれしいものです。
そして、そのあと、この内容を誰かに話してみたりされた方はいませんか?
そして、その場合、どのような反応がありましたか?
おそらく、私が体験したのと同じように、極度の無関心、どうでもいいといった態度に出くわされませんでしたか?
「映画の画面において虹の向こうは → の方向に設定されている」
たったこれだけの内容ですので、
これ聞かされたほうの反応というのは、
「で、・・」でお終いです。
それは、相手が頭悪いからでしょ、とか、映像に興味ないんでしょ、とか思われるかもしれませんが、
東大とかオックスフォードでた人でも、「で、…」でしたし、
わたしの父親は、自称大の映画ファンでしたが、わたしの言っていることの意味がわかりませんでした。
「映画の画面において虹の向こうは → の方向に設定されている」
このことの真偽を確かめようとして、ツタヤで『生きる』(→)と『ナウシカ』(←)とET(→)『天然コケっこー』(←)『犬神家の一族』(→)を借りてきたとしたら、
「ああ、電波ブログに騙された!」と思われるでしょうし、
わたしのブログの内容に対して「壮大なほら話だった」でおしまいでしょう。
「映画の画面において虹の向こうは → の方向に設定されている」という自分史的には大発見の事実を、他者に理解してもらうために、わたしは四苦八苦して、最終的にたどり着いたのがこのブログの『映画が抱えるお約束事』という記事で、そこは今現在多くの方からブックマークをもらっているのですが、
それにしたところで、書き込まれたコメント見ると、
内容理解された方はせいぜい半分というところでしょうか?
それは、わたしのブログの書き方が悪いせいでもあり、
『映画が抱えるお約束』の次に日本映画の進行方向は60〜70年代にひっくり返っているという次の記事にうまく誘導できていないことでもあります。
ただ、しかし、うまく誘導できたなら、完全にわかってもらえるのかというと、誘導できたはずの方がたのブックマークのコメントを読む限りでは、どうもそうでもないのですね。
ひとつには、画面の進行方向に関する日本映画の歴史が込み入ったものであるというのがあります。それゆえにわたしの記事も長いものになってしまい、途中で読むのやめてしまう方が大勢いる。
読むのやめてコメントせずに無視するならそれでいいのですが、わたしが『映画が抱えるお約束事』に書いた内容というのは、読んだ人をボンクラ呼ばわりしているように感じさせる性質を悲しいことに持っていますんで、なんか一言書き込みたくなるのだと思いますよ。
まあ、それはどうでもいいとして、
このブログを書くにあたり、一番難しいと思ったことは、キャプチャー画面に矢印書き込んでも、ほとんど誰も見てくれないということです。
普通の人にとって映画とは一度見てストーリーを理解したなら用済みな物です。何度も繰り返してみるわけではないですから、どのカットがどうだったとか、画面上で人物はどのように方向を変えたかについては、覚えている人は極稀です。
よく覚えてもない映画のシーンをキャプチャーされても「で、…」でお終いですし、
映画のストーリー理解して楽しんだ後に、キャプチャー画像見せられても、「もうおなかいっぱいだよ」ってところでしょう。
そして、困ったことに、わたしが一番語りたいはずの谷村美月の映画って、ほとんど誰も見ていないんですよね。
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実際このブログで、延々とこのことをわたしは書いていますが、まあ、誰も読まないでしょう。
そのことはわかってましたけど、自分の中では谷村美月の映画について語りたい衝動を止めることができなかったんですね。
そんで、わたしがたどり着いたのが宮崎駿の諸作品でした。ジブリ作品は日本人みんな見てますしね。
自分が一年ちょっとで書き溜めた内容は新書にするなら、すぐに3冊分くらいにはなるでしょう。
もし「本でも出版しない?」とか言われるんでしたら、『風の谷のナウシカ』の「北枕」を中心にするといいとわたしは考えますけど。
でも、これだけキャプチャー大量に使うのは出版には無理でしょうね。
電波ブログの振りして、ネットの片隅でこっそりやってる方がいいと思ってそのようにやってきた次第です。
誰もが知っている宮崎作品にしたところで、
よく覚えてもない映画のシーンをキャプチャーされても「で、…」でお終いですし、
映画のストーリー理解して楽しんだ後に、キャプチャー画像見せられても、「もうおなかいっぱいだよ」
ということになりますので、
『映画が抱えるお約束事』では、雑多な映画をピックアップして解説してあります。それゆえに解説するものが都合のいい場面だけ選んで都合のいいこと言っているだけじゃね?と思われる方もいるでしょう。
実際都合のいいシーンだけ集めていますから。
ブックマークのコメントで『アラビアのローレンス』でこのことについて話そうとしたら聴講者がだれも『アラビアのローレンス』見たことなくて涙目になったと書かれていた方がいらっしゃいまして、
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マジな話、このブログの内容は
「映画の画面において虹の向こうは → の方向に設定されている」
の、たった一行をうまく他人に説明するために四苦八苦した記録に過ぎぬわけです。
ちなみに、わたしはこのブログを書くとき、たいてい酒を飲んでおり、それゆえに粗暴な言葉を書き連ねたり、逆にやたら涙もろいことを書いていたりもするのですが(チャップリンの『キッド』とキューブリックの『突撃』については今読み返すと実に涙もろいことを書いています)、
コメント欄の書き込みに対して、激怒することも多々有りまして、
一番腹が立ったのは、
「これって定説なのでしょうか?参考文献有るのでしたら、紹介してください」と言うもので、
このコメントについては、呪詛のような返答を書き込み、あまりのえげつなさに、自分の返答と元コメともども削除しました。
学者の目指してるような方だと、こういうコメント書いちゃうんでしょうね。
初対面の人に「わたしの指導教授は…です」みたいな自己紹介する方たくさんいる世界ですし。
「自分は、こんなこと考えてこんな意見発表しました」みたいな自己紹介できないもんなんでしょうか?
もし
参考文献に当たるようなものがもしあるなら、
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位しかありません。
ただしかし、このブログ書くために読んだ本と言うよりかは、書いてる時期に興味持った本と言う程度で、引用したわけでもありません。
これらの本よりは、フロイトとかの心理学の本で十年以上も昔に読んで自分の脳みその血肉になっている本のほうがはるかに自分の中では「参考」になっていますね。
富野理論は、このブログの最後のほうになって触れてありますが、書いている段階では知りませんでした。
それ以外にも映画の教科書みたいなのも読みました。
「つまりあんたの言いたいこと一行でまとめると『映画の画面において虹の向こうは → の方向に設定されている』ってことだよね」とわたしには要約できるような本も有るのですが、
富野理論『映像の原則』みたいにはっきりと言い切った本って、他にはわたし知りません。
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まあ、それはいいとしまして、
参考になった意見というより、のちのちになって、なるほどと思わされたものは、
BSマンガ夜話の夏目房之助氏の「明日のジョーのラストは、ページめくる方を向いて座っているから、まだ死んでいない」。
彼はマンガを読むときの視線についてかなり考察した人物です。
それと、
誰の著書か覚えていませんが「左右学」についてのもので、「『アラビアのローレンス』の進撃方向は、状況が順調に推移するときは→ そうでないときは←の傾向があるらしいという研究がある」という一行。
夏目房之助がBSマンガ夜話でこの話してたとき、スタジオのほかの人たち半笑いでした。
わたしも、この意見聞いたときは、まだこのブログに書いたようなこと考えたことなかったので、「そういう見方もあるだろうな」程度のさめた感じ方です。
ローレンスの進撃方向にしても、「そういう考え方もあるんだな、なるほどー」みたいな、それこそこのブログのブックマークで多くの方がコメントされているような感じ方しかしていませんでした。
わたしにしたところで、谷村美月という切っ掛けがなかったら、画面の進行方向なんてどうでもいいことだったんでしょう。
逆から言うなら、映画を本気で理解しようと思い始めると、必然的に画面上の流れが見えてくるものです。
先ほどの『アラビアのローレンス』で涙目という方のコメントから推測するに、
たぶん、『アラビアのローレンス』で進行方向のチェックした人がすでにいて、それなりに世の中に公表しているのでしょう。
ただしかし、
よく覚えてもない映画のシーンをキャプチャーされても「で、…」でお終いですし、
映画のストーリー理解して楽しんだ後に、キャプチャー画像見せられても、「もうおなかいっぱいだよ」
という以上に、DVDなかった時代にこんなこと言っても、今以上に馬耳東風だったでしょう。
それよりかは、自分の政治信条や道徳を他人の撮った映画を利用して語るような映評のほうがはるかにとっつきやすいでしょう?
蓮見重彦氏はそういう映画評をコテンパンに馬鹿にしているのです(蓮見氏の文章自体いかがなものか?という気もしますけど)。
わたしにしたところで、映画の進行方向を見つけることができたのは、映画をPCでみるようになってからです。
ビデオやDVDプレイヤー使っていたときは、映画はもっとシンプルなもので、
始まりからおわりまで一息にみるものでした。
止めたり、戻したり、キャプチャーしたり、時間計ったりという見方はしていませんでした。
つまりわたしの映画の見方というものは、ノートPCの進歩が後押ししたものであり、
テクノロジーの裏づけが必要なものなんですが、
今現在ノートPCで映像の編集を趣味にされている方も大勢いらっしゃるとは思いますが、非プロフェッショナルでも、自分で編集している内に映像の進行方向の理論見つけてしまう人は大勢いるだろうし、今後さらに増加していくとわたしには思われます。
今までは業界内部の隠し事だったみたいなことが、一般人の間に下りて行った後に、
映画を見る事はどのように変わってしまうのだろうか?ということですが、
このブログ読んでみると、そういう知識ついたからといって映画がつまらなくなることはないのだなということが分かります。
このブログ書いている人、映画みてそうとう楽しんでいるようですし、むしろそれまで以上に監督や役者に親近感感じているようです。
ただしかし、プロパガンダの類や報道番組の類には怒り爆発させるようになりました。