『オズの魔法使い』  ミュージカルは面白い


1939年の映画で、カラーです。

72年前の映画で、この映画が公開された年に生まれた人でも既に鬼界入していても何も不思議がないのですが、

ミュージカルのノリには絶対ついていけない、という人でもなければ、今でも楽しめる映画になっています。夏休みにNHK総合で朝の10時から放送したら、多分今の子供でも楽しめるでしょう。




以下の内容を読まれるのでしたら、こちら(映画の抱えるお約束事)もどうぞ。当ブログの理論についてまとめてあります。


映画が生まれて115年くらい経っていますけれど、このポジティブ −>、ネガティブ<ーで画面を描く技法は、徐々に段階を追って成立してきます。
そして1927年のサイレントからトーキーへの移り変わりを大きな契機として、一気にこの手法が固まってきます。

もちろん、今の映画、それにドラマも、ほぼこの手法により撮影編集がなされております。



ジュディ・ガーランドが竜巻に飛ばされて、魔法の国を漫遊するロードムービーですから移動距離が長く、目的地を目指しているときには、−>、そうでないときには<ーであるのが非常に明白な映画です。
あまりに明白すぎて、現代の映画の、なんでそっちを向くんだろう、なんでそっちに進むんだろうという、考えさせるカットはほぼありません。非常に単純な映画なのですが、それでも、ポジティブとネガティブの二項対立を裏に隠している画面ですから、説明力がそれまでの映画スタイルと比べて段違いに優れており、今見ても退屈しません。


ミュージカルの面白いところは、感情が高ぶってきた時に役者が突如歌を歌い始める点です。
これを理由にミュージカルが嫌いな人も大勢いるのですけれど、私は、それが理由でミュージカルが好きなのですね。
日常生活でもいきなり鼻歌うたい出す人っていますけれど、実は、私、そういう人でして、
それゆえ、ミュージカルのいきなり歌いだす登場人物にそんなに違和感を感じないというのもあります。

映画の中で歌を歌うシーンでは、感情表現の演技がものすごくわかりやすく単純化されていると思います。

この、ジュディ・ガーランドが『オーヴァーザレインボウ』を歌うシーン、かなり強烈です。

ジュディガーラーンドの歌う画面に、虹は映ることはなく、あくまで彼女の妄想裡に希望の象徴として虹が存在するのですが、

彼女の歌う時の演技で、何かを望み願いをかける表情の時には彼女はー>方向をむいています。
そして、その希望の所在が遥か彼方でそこに至ることができないと不安になるとき、おどついた態度をともなって、彼女は<ー方向をむいています。
また、虹の彼方を目指すという非日常的な願望と対比する形で、犬を可愛がるという行為は日常に埋没する行為と捉えられ、犬のトトに向き返るときは<ーです。

歌の最後の、『幸せの青い鳥が虹の彼方に飛んでいく』と歌うとき、青い鳥を目で追うような演技をしますが、明らかに虹は画面の向かって右側、ー>に設定されているようです。

三匹位青い鳥が飛んでいるような目線演技ですけれども、最後の一匹だけは、少しばかり<ーの方に流れていくようです。

これ、ラストで、「家に帰ったら家に青い鳥がいた」というオチと対応しているように思えるのは私だけですかね?





ミュージカルにおいて歌のシーンは、感情表現が誇張されて表されるだけに、
ポジティブな心性はー>向き、ネガティブな心性は<ー向きで表されるのが、非常に露骨であるということです。