自分がブログに書いてきたことを思い返してみると、
恋愛ストーリーの映画についてものってほぼありませんでした。
映画の中の恋愛、というと何かたいそうなもののような錯覚を感じてしまいますが、
恋愛扱った映画ってそんなに数がない、いや有ったところで名作たりえてるのはあまり無いという感じ。
「模倣に値するようなラブストーリーってあるんだろうか?」ってことですが、
たとえば『ローマの休日』なんて、主役がお姫様ですから、
あれみたいな恋愛したいと思ったところで、
「まず、あんたのご身分って何? 愛子様かどなたの御係累?」という突っ込みが入るわけです。
そうでないとしたら、『ローマの休日』の模倣って、パックツアーの日程抜け出して現地男性と行きずりのセックスというレベルにまで落ちてしまう可能性があり、
「それ、人前で話せるレベルの武勇伝じゃないでしょ」となる。
『ティファニーで朝食を』とか『プリティーウーマン』とかを模倣するには、まず最初に、売春婦に身をやつさなくてはならないわけで、
「あんた、そっから始めますか?」となる。
一般人的に模倣しやすい恋愛って、映画にならんわけで、
ちなみにアニメ版の『時をかける少女』ですと、
恋愛の進展具合に関しては、はっきりすっきりしないグダグダしたもので、そういうのって現実的にありそうなんですが、それ模倣したところで何の自慢にもならない。
あの映画でロマンチックといえるのは、淡い恋愛関係の終わりの劇的さにあるわけで、その辺の痛みを模倣したところで、全然うらやましくないぞ、と。
映画のような恋をしたい、で、
「じゃあ具体的にはどんな映画の恋がしたいわけ?」で『タクシー・ドライバー』を選択しちゃう人がいるんですね。
ジョディ・フォスターをストーカーして、ロナルド・レーガンを暗殺未遂。
「そっちじゃねえだろ」という気がします。映画の中でもデニーロ扮するトラヴィスは、高嶺の花の女性には振られ政治家の暗殺は断念し、
ヤクザに管理売春させられている未成年女子救出のためにドンパチやらかすのですが、
そっちの方を模倣すべきだったんだろう、と私は思います。
で、そしたら、映画のようにヒーローとしてもてはやされるエンディングが待っていたのでしょうか?
よくよく考えたら、それって『キック・アス』です。
つまり、映画の恋愛って、
一般人的には荒唐無稽なレベルで、その手の届かない夢の世界に一抹のリアリティ感じて自分のしょぼい恋愛生活から一時の逃亡を図るためのものだったり、
そうでなかったら、
実際の生活で「これやったら人生終わっちゃうだろうけど、一遍やってみたいってうずうずしてる」って恋愛シュミレーションでして、
私がこのブログで取り上げるような映画は、後者のものばかりです。
だから、「映画のような恋をしたい」を実行に移すことは、即人生ゲーム終了を意味します。