黒澤作品のワーストについて考える  第六回  『生きものの記録』

この映画暗い話ですが、相当に面白い。単に私が最近まで見ていなかっただけ、映画ファンの話題になることの多い黒沢作品なのかもしれません。

 

というか、黒沢作品群の中では中位の人気作のようです。ワーストを争うような作品では決してありません。

 

この映画、一番気になるのは、志村喬三船敏郎のキャスティングです。

酔いどれ天使』と『七人の侍』のように志村喬三船敏郎に対して師匠かずっと年配の先輩の役割を担うのが一番安定しているように思えます。

そして、実生活でも志村喬三船敏郎の親代わりだったというか、まあ、年は15歳しか離れていないので、親がわりの兄、みたいな感じでしょうか。

 

そして、『静かなる決闘』のように親子の役をやるとちょっと息苦しい。

 

そして、志村喬が小悪党の脇役に引っ込むと、それだけのことで

三船敏郎が師匠や先輩の助言を必要としない大物に成長したような貫禄を感じてしまいます。

 

『生きものの記録』では35歳の三船敏郎が70歳の老人を演じており、志村喬よりも年上の役です。

主人公は非常にエネルギッシュな老人ですから、三船が演じてもあまり変ではないのですが、

三船が志村喬よりも年上の役というのには、猛烈な違和感があります。

そしてこの違和感が、映画の中の誰が正しいのか何が正しいのかわからないという迷いに対応しているような気がします。

 

そして志村喬は、『酔いどれ天使』『静かなる決闘』に次いで医者を演じるのですが、今度の医者は内科でも外科でもなく、歯医者。

 

戦後10年、子供が虫歯になれるほどには日本に経済的余裕ができたという意味合いがあるでしょうし、

人間の命を救うような医者でもないことから、この作品で志村喬三船敏郎を救うことのできない傍観者であるらしいことがわかります。

さらにいつもは三船を慕う優しい役の千石規子が三船の義理の娘役で出演しており、

三船の家族は、娘と一番若い妾を除いて皆腹に一物抱えながらの小さな政治駆け引きに精を出しています。 

そして、この作品の前の『七人の侍』で、一緒に戦ったはずの千秋実が、次男役で、彼が最も強硬に三船と争う役なのですが、

 

こうやってキャスティングだけ見ても、救われない映画であることがよくわかるというもんです。

 

 

 

 

わたくし 年を取るに従い、擦れ枯らしてくるというか、映画見て泣くことは普通にありますけど、本気で感動することがないというか人生動かされることなどまずないというか、映画によって絶望させられることなどまずないというか、数日間いや数時間も鬱になるということもほぼありません。

 

だからでしょうか、この映画をいろいろな観点から楽しんでしまイ、見終わった後は「ああ、面白かった」という感想になるのですが、

 

 

黒澤明作品で希望の光を窓の外に見る、という描写についてですが、

映画の進行方向は  なのですから、映画のゴールは向かって右側にありますし、主人公はそっちの方向を目指します。

だから、希望の光の差し込む窓は、常に向かって右側。

これは黒澤作品のお約束事となっています。

この画面進行方向に関しましては、

映画が抱えるお約束事 - (中二のための)映画の見方

の回についてまず読んでいただきたいところです。

『わが青春に悔いなし』戦後のプロパガンダ作品

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『一番美しく』戦中のプロパガンダ作品

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ここまで露骨に窓の外に希望の光を見出すカットもなかなかあるもんじゃないです。

戦中戦後のプロパガンダ映画ですから、ここまで臆面もなく窓の外の光に希望を見出しているのですが、

それ以外の作品の場合ですと、たいてい一捻りされた形になっています。

 

ブラジル移民の話を家族に反対され、妾の子供たちに金を借りに来た場面。

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彼ら立場弱いですから、あんまりずけずけとものを言えません。だから主人公は彼らの気持ちを完全に理解しているというわけではないんでしょう。

ブラジル行に希望を見出しているのでしょうが、妾とその子供たちってその話に乗ってこないんですよね。

その様を、主人公一人が窓の外の光を見ているという画面で表現しているようです。

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三つめの妾宅に赴いたところ、ジェット機の騒音に続いて落雷、そして激しい雨。

「いきなり核爆発か?」とおののく主人公は、赤ん坊をかばおうとする。

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ええ、そうです、『八月の狂詩曲』にほとんど同じシーンがあります。

 

わたくし、この度、黒澤のあまり顧みられることのない作品群をつぶさに見て思うたところをブログに毎日書いているのですが、

あまり評判の良くない作品の中のシーンやモチーフが、成功作に使いまわされているのを多々見ました。

 

映画の核になり得るようないいシーン、優れたアイデアが、作品そのものが評価されないことにより、世の中になかったことにされてしまう、というのはものすごく口惜しいことなのでしょう。

失敗作不人気作ほど、そういうシーン、アイデアがごろごろしてて、そういうの見つけるのがものすごく楽しいです、はい。

鬱映画のはずの『生きものの記録』でさえ見てて楽しいというのはそういうことでもあります。

 

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「ブラジル行の話はもう少し家族で話し合いなしゃい」と金を返される。

黒澤は雨にこだわりがあるとは言われますが、

彼の雨の使い方の一つとして、窓の外の希望の光を隠すためのブラインドの代わりというのがあります。別にやみくもに雨降らせているわけではないんですね。

 

 

 

この作品が、全幅の信頼を置いていた音楽監督・早坂文雄の遺作であり、

黒澤明の転機となる作品なのかもしれません。

そして、カメラとフィルムの進歩からか、この映画から画面がものすごくクリアになり、そのことゆえ画面上に細かい演出が増えるようになります。

この作品の前が『七人の侍』ですから、そこでスペクタクルを演出したいという欲求を使い果たしたのでしょうか?『生きものの記録』では、広くもない部屋の中に多くの人間を詰め込んで、その人間の心の動きをカットをつなぐことで表現していく手法がとられています。

このやり方は、『悪い奴ほどよく眠る』や『天国と地獄』でも用いららることになりました。

 

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家族みんなが腹に一物抱えて相手の出方を探り合っている中で、娘だけはずけずけものを言って天真爛漫。

道化役というか、『乱』のピーターの役割に似ているような気がします。

この女優、青山京子、小林旭の奥さんです。

 

『静かなる決闘』『素晴らしき日曜日』など戦後すぐの映画では、

「やっぱ結婚するまでは処女でなきゃ」的なことだったんですが、

この頃になると、だんだん時代が変わってきたようです。

 

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汗だくの鉄工所の工員にホースで水をかけるところ。

「お嬢さん、もっとかけてください」

明らかに性的なメッセージをはらんでおり、

彼女が上の兄たちとは別の時代にいきているらしいことを暗示させる。

 

12歳アイデンティティ臨界説というのがあるらしく、精通と月経開始の年齢を過ごした国や地方に自分の帰属意識を感じるのが人間らしく、

まあ、その年頃になると親と距離を置いて、仲間とつるむ時間がより増えてきますから、

この映画1955年のもので、だいたい、この女の人の年代だと思春期の頃には戦後になっていて、戦後の人間ということになるのでしょう。

 

 

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三人目の妾と本妻の娘の歳がほとんど違わない。ほんで、二人の仲が良かったりする。

娘にファザコンの資質があると、こんなもんなんでしょうか。

ここまで圧倒的に強い父親だと、逃げるか好きになるかの二択しかないでしょうし。

三人目の妾を演じた根岸明美は、この二年後の『どん底』では底辺売春婦の役でした。

 

初期黒沢作品では、『酔いどれ天使』の久我美子とか『スキャンダル 醜聞』の桂木洋子などの美少女が、純粋な天使のように描写されていたのですが、

 

処女であることに意味があんまりなくなってくる時代ですと、少女を天使みたいに描く根拠が薄れていきますから、黒澤作品に出演する女優達ってだんだん美しくなくなっていくんですね。

 

最終的には、『八月の狂詩曲』の大寶智子です。

ほんと、どうしてこうなった?てな感じなんですけど、そうならざるを得ない必然みたいなものもちゃんとあったりするらしいんですね。

 

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ラストのカット。子供を背負った三妾が←方向に歩いて消えていく。

ネガティブ方向への移動だけに、主人公と面会しても、まともな会話は成り立たないだろうことが予想される。

 

映画見ているときは、気にならなかったんですけれども、三人の妾のうち、一番経済的に弱そうなのがこの人なんですけれども、

工場焼いて、主人公が精神病院に入ったら、この人、今後収入はどうなるんでしょう?父親は典型的なダメ人間ですし。

まあ、この人の運命の続きが、二年後の『どん底』の底辺売春婦だとするのはそこまでうがった見方でもないと思います。

そういうことまで考えると、この映画のラストって『乱』とものすごく似ています。

兄弟が三人いて、一番下の妹がずけずけ真実を語る、というのも『リア王』と構造同じですし。