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無意識レベルでの共感

映画論



映画は総合芸術であるといわれることが多いが、総合芸術とは一体何なのであろうか?

おそらく映画を総合芸術だなどといっている人物は映画について分ってはいない。

演技、画面、音楽、脚本、ここのパーツを取り出してみれば、それらはことごとく二流である。
唯一映画が他の芸術形態を圧倒しているのは、大道具小道具くらいなものだろうか?しかしそれにしたところで、本物の建築に比べればただの張りぼてであるし、それに全ての映画が巨大なセットを使用するわけでもない。

映画の特徴というのは動きなのであろう、そしてその動きの特徴は、ダンスやバレーの動きと違って、再生可能なものであり、それ以上に重要な点は、固定された視点を強要することに派生する諸々の心理的効果といえるだろう。

そしてそれらの動き全ては、画面の進行方向の中に取り込まれ、その中で新しい意味を獲得していく。

どう考えても、映画が映画である理由というのは画面の進行方向。画面上に明滅するベクトルに由来するはずだ。

そして、その流れはBGM、光量、色彩により更に複雑な流れとなる。

映画のすごい点というのは、登場人物の無意識を表した表現を、観客の側も無意識に取り込むことが出来る点である。
精神医学のレポートでは患者の無意識を文章化し、読む側は顕在意識上にその患者の無意識を受け取るだけだが、



登場人物の無意識的を観客が無意識的に感じるというのは、無意識レベルの共感というべきことではないか?
おそらくこれは、共感を引き起こすテクニックとしては、もっとも効率のいい方法だろう。

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