視覚イメージ総量の乏しさゆえに

400年前、まだ写真もなかった昔の話。

中国の陶器は人工的に作られた宝石だと考えられていました。
つややかな白色は、象牙よりも真珠よりも美しいとされ、高い値段で取引されました。

その美しい白の上に美しい絵が描かれると、価値はさらに上がるので、

陶器には絵やデザインが描かれるのですが、


生産者が中国で顧客がヨーロッパですと、

ヨーロッパ人の好むデザインや図柄が求められることとなります。

中国の美人や中国の光景以外にも、ヨーロッパ人になじみある景色や人物を陶器の上に描いてほしい、という発注はきっとあったことでしょう。


「これこれこんな感じで、俺たちの国の様子を茶碗の上に描いてほしい」そんなことをポルトガル人が中国人に伝えたとします。
でも、よほどリアルな図案でも渡さない限り、中国人の絵師はヨーロッパの光景なんか分かりっこないですから、

自分の頭の中にある異国風イメージを適当に組み合わせて、なんちゃってヨーロッパな絵を描くこととなります。


私たちはみんな、外国に対する視覚イメージが不十分だった時代にはみんながみんな、この中国人絵師と似たようなことをやってたわけです。


異国に対する視覚イメージがふんだんにある、ボタン一つでいくらでも検索できるようになったのは、
ほんの10数年程度の話ですから、


向こう側の連中は、とんでもアジア認識に基づいたいい加減な映画を撮り散らしていましたし、
アジア人はアジア人で、ヨーロッパ=おとぎの国 みたいな妄想をもとにしてディズニーランド楽しんだりしてたわけです。


今じゃ
地球上の場所なら、だれでも行けるようになりましたし、日ごとに視覚イメージは蓄積されていきます。


それでも、地球の外となるとなかなか行けるところでもありませんし、視覚イメージもほとんど蓄積されることがありません。

科学的推論に基づいて、想像図をたくましくすることはできますけれども、
その宇宙の現実は、私たちの日常感覚とはなかなか両立しがたいものだったりします。


まあ、今でこそ、それなりの宇宙のイメージが一般的に定着していますけれども、

100年前なんて、火星の地上の様子なんてだれ一人知らなかったわけで、

当時の人間にとってほとんど未知の世界であった海底の様子から類推して 火星人=たこ なんてことやってたわけです。

海底というわけのわからん世界にする、わけのわからん存在、
タコが悪魔 というのは、オランダやイギリスの船乗りの妄想ですが、

そんな奴らの何百年も前の妄想が、いまだに現代人の 火星人=たこ というイメージの原型だったりします。

まあ、火星人はまだ発見されていませんから、火星人の視覚イメージの蓄積って今まで一切ないことなので仕方のないことなんでしょう。



さらに言うと、
私たち、だれひとり、天国というものを実際に知らないわけでして、
地獄というのは、やり方次第でかなり簡単に作り出せるものなのですが、


天国って、無理でしょう?
それゆえ、なかなか 視覚化することができないものです。

それで仕方ないから、インドとか中国とかの光景をもとにして、天国の想像図を描いてきたのが日本人なのですが、

インドとか中国の現実を知ってしまった現代日本人にとっては、
「どうして死んでから、中国とかインドみたいなとこにいかねばならんのじゃ。極楽往生とは何の罰ゲームだ?」

としか受け取れないものであったりします。
日本で葬式仏教が廃れるのも当然のことですね。