『ピンポン』 2002年公開 監督・曽利文彦 脚本・宮藤官九郎 出演 窪塚洋介 井浦新 荒川良々
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2013/04/19
- メディア: DVD
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原作・松本大洋
ピンポン (1) (Big spirits comics special)
- 作者: 松本大洋
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 1996/06
- メディア: コミック
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ポルトガル語字幕付き『ピンポン』
①場面の類似
アホみたいに叫ぶ
『ピンポン』 18分50秒
海に向かって吠えるペコ。
「この星の一等賞になりたいんです、卓球で。それだけ。」 ペコの台詞
「ペコはカッコいいからね。個人的にカッコ悪いペコ見るの嫌いなんだ」 スマイルの台詞
『あまちゃん』18話
トンネルに向かって叫ぶユイちゃん。
「アイドルになりた〜い」
窪塚=能年 新=橋本 と役者の個性から決めつけてしまいそうになるけれども、
じつのところ、物語の序盤においては、 ペコ=ユイ スマイル=アキ 。
序盤において、やる気のないのはアキの方で、単純でエネルギッシュなのはユイのほう。
水に飛び込む
『あまちゃん』5話
「アキは自分で自分の殻を壊そうとしていました」 宮本信子のナレーション
アキは何度も海に飛び込んではいるが、ピンポンの飛び込みと最も似ているのは第5話のもの。
ちなみに、飛び込んだ後のペコが最初にやることは、長髪になった髪の毛を切ること。
他行の幼馴染に試合で完敗し、自校の幼馴染にも遠く及ばないことを知ってピンポンから足を洗うが、
自分を倒した幼馴染に諭されて、もう一度卓球を始める。
『あまちゃん』110話
夢を見失い、そしてもう一度夢を見始める。その区切りとして、ユイちゃんの髪の毛の色が変わる。
もう一回アイドルになることを考え始めたとき、髪の毛をもとの色に戻す。
ユイちゃんが水に飛び込むシーンは出てこないが、髪の色をもとに戻すきっかけになったのは、アマの素潜りの練習の為プールに通い始めたこと。
水の中で生まれ変わるというモチーフは、ユイちゃんの方にも適用されている。
110話
リアリズム的には因果関係はないのだが、
物語構造的には、ユイの夢の復興の為、アキはアイドルになるチャンスを一度棒に振った。
『あまちゃん』の中では
ユイのモチーフは 大声で叫ぶこととトンネル
アキのモチーフは 水に飛び込むこと
しかし、110話でユイが水の中に入り生まれ変わり、アキの方は111話でトンネルに向かって叫ぶユイのモチーフを引き受ける。
『あまちゃん』のなかで二人の女の子のキャラはこの110話と111話は交錯している。
岩手でユイが叫んだトンネルには出口が見えなかったが、
東京で空きが叫んだトンネルは、向こう側の明かりが見える。
むろん、交通量の少なく長いトンネルが都内にあるなんてことはないので、ロケ地は限定されるのだが、
アキの場合の挫折は、あくまでも向こう側の見えるあと一押しすれば何とかなるはずのものだった、というイメージを受ける。
『ピンポン』
中村獅童演じるドラゴンが試合前に必ずトイレにこもるなんでトイレにこもるのか説明がなくわかりにくい。負けることへの恐怖に必死に耐えているらしい。
「先輩は下痢でありますか?」
「あいつは試合の前にはいつもこもるんじゃ」
『あまちゃん』151話
ユイちゃんは東京からスカウト(太巻)が来るたびにプレッシャーからトイレに逃げ込む。
「おなかが痛いのかな、シクシク痛いのかな、それともキリキリ痛いのかな」
ばっぱとオババのあまりにもあほらしい金の請求の仕方の類似。
『あまちゃん』2話
娘に孫が食べたウニの代金を払わせる夏ばっぱ。
『ピンポン』 14分30秒
「台に乗る人罰金1000円!」
「オババのパンツ見ちまったぁ」
「2000円!」
『ピンポン』では払いませんが、もし全額払っていたら『あまちゃん』と同じ計3000円になります。
クドカンの小ネタ小ネタと散々みんな言いますけど、『あまちゃん』って『ピンポン』を下敷きにしてるよ、ってのは大ネタって言っていいんでしょうか?
②
さっきと同じシーンですが
編集で、別の場面をつないだところですが、
映画にリアリズムのみを求める観客なら、
このように二場面を頭の中で区切っているはずです。
ただしかし、私のように頭の中でこのように区切っている人もいるはずです。
「オババのパンツ見ちまったぁ」
『あまちゃん』148話
「ガールズバーっていりますか?」
「…いるよ」
「ふざけんなっ!おらたつは隙間風はいるプレハブで冬越そうとしてんだぞ」
海女カフェ再建の話をしたヒロシ君に怒鳴るみすずさん。
二つは別の場面で直接つながっていないのですが、セリフだけ聞いているとつながっていて、ユーモラス。
こういうのは、監督がやるのか編集の人がやるのか、それとも脚本の段階でできていることなのか分かりませんけれど、
この二つあまりにも似ているので、脚本に書かれているんじゃないでしょうか?
台詞の類似
『ピンポン』の台詞は、松本大洋の原作にあるもので宮藤官九郎が考えたわけではないんですが、
よく似た台詞が『あまちゃん』にいくつも取り入れられています。
『ピンポン』
「風間さんは誰のために卓球をしているんですか?」 とアクマ
「むろん自分の為」 と風間
「冗談でしょう。それだったら何も俺だって...」とアクマ
「恨むか?」と風間
「同情します」とアクマ
『あまちゃん』83話
「あんた、おばあさんや海女さんのために女優をやんの?」と鈴鹿ひろ美
「そしたら鈴鹿さんは何のために女優やんだ?」とアキ
「わがんね」と鈴鹿ひろ美
『ピンポン』の方の台詞は意味が分かりにくいが、どちらも自分の為だけに何かをしても上手くはいかない、と単純なこと言いたげな台詞である。
『あまちゃん』
「アキにはね、わたしには見ることのできなかった風景見せてやりたいのよ」 春子さんの台詞
(たぶんこんな感じだった)
『ピンポン』
「頂点に立たなければ、見えない光景があるんだよ、ミスター月本」 バタフライジョーの台詞
『あまちゃん』146話
「いつもめんどくさくてごめんね」とユイ
「おかえり、めんどくさいユイちゃん、おかえり」とアキ
『ピンポン』
「いくぜぇ、相棒」ペコの台詞
「おかえり、ヒーロー」スマイルの台詞
四人の役者のイメージから ペコ=アキ スマイル=ユイ と思い込んでしまいますが、
仔細に見比べてみると、むしろ、ペコ=ユイ スマイル=アキ に近いことがよくわかります。
もし、もし仮にですが、地震がなかったとしたら、東北の人間を他地方の人間が助ける必要ないのですから、
『あまちゃん』の物語は、ダメな都会の人間が親の田舎に行って更生するだけの単純で面白味のない話になりかねなかったのではないでしょうか。
事実、『あまちゃん』の最初の二週分くらいは、そういう話で、NHKが土曜日の夜にやっているドラマのように5〜6時間でまとまりかねないものです。
『あまちゃん』がかくも『ピンポン』の物語を残しながらもそれをよじれさせ、複雑な大長編傑作に成りえたというのは、宮藤官九郎の功績ですけれども、
地震の為に東北は助けられなければいけないという現実の前提条件があり、
その助け手が本来は他人を助けることなど到底無理で本来助けられるはずの人だったという物語が自然と熟した柿のようにクドカンの手に落ちてきた、わたしにはそのように思えて仕方ありません。
これは、地震がなかったらいろんな意味でなかったはずの物語なのでしょう。
そして
ラストシーンは クロが海に飛び込む
松本大洋作品は、どれも話の骨格が似ているので、当然のごとく『ピンポン』以外の松本大洋作品も『あまちゃん』に似てしまう
『ピンポン』
「男は、お腹痛くなくてもトイレに行くんだよ。」
「分かんないよ」
「来んな。少し泣く」
『あまちゃん』126話
「うるさい。もっと泣くぞ」
ネット上で話題になってた箇所。
他に目立つところがたくさんあるのに、なぜここにばかり注目が行くのか私にはよくわからなかった
『あまちゃん』
「またひとり、北三陸に飛べない鳥が逃げてった」
『ピンポン』
「飛べねえ鳥もいるってこった」アクマの台詞
「でもアンタ高い所飛ぶ選手だかんよ。うんと高く飛ぶ選手だかんね。オイラも背中に乗っけてもらって・・・飛ぶ。」とペコ
「振り落とされんなよ、小僧」と風間
『ピンポン』には鳥のイメージがちりばめられている。
今迄にない高いレベルの試合をペコとの間で経験した風間。頭上をカモメが二羽飛んでいく。
言うまでもなく『あまちゃん』OP 水鳥が二羽。
設定の類似
③
『あまちゃん』
アキちゃんは太陽、ユイちゃんは月
『ピンポン』
ペコは星野 スマイルは月本
『あまちゃん』
自分の叶わなかった夢を娘でかなえようとする春子さん。
『ピンポン』
「スマイルに入れ込んでも自分の青春は帰ってこないよ、バタフライジョー」オババの台詞
中途
わたしは、どこで気づいたかというと、
能年玲奈よりも、こちらの方が母子に見えるんですね。
なんでそういうことになるかというと、二人ともアイドルになる夢が破れた役で、夢の廃墟といっていいかもしれません。どちらの役も暗い部分持ってるんですから。
そんな母親の果たせなかった夢を叶えアイドルになるのが能年玲奈であり、夢叶わず壊れてしまった親友に別の形の夢を吹き込むのも能年玲奈の役割です。
それって、復興する者と復興を手伝うものの関係であり、
その線に沿って、地震の話に絡めてくるんだろう、と中途で予想がついたのですが、
このドラマの復興する者とそれを手伝う者の関係って、片側的依存関係ではなく、相互依存関係なんですね。
誰かを助けることによって、自分が助かる、そういうことって確かに世の中ありますし…
て、考えると、これ松本大洋の物語の黄金パターンです。
バカで無邪気なキャラと知的で虚無的なキャラの相互依存関係。
物語展開の類似
卓球の試合に敗れ退部、そのうえ暴力沙汰で高校中退したアクマ。ヤンキーになる。
父の病気に続いて母親の失踪。夢あきらめた足立ユイ。高校中退後ヤンキーになる。
鉄コン筋クリート (1) (Big spirits comics special)
- 作者: 松本大洋
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 1994/03
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そういえば、松田龍平、松本大洋原作の『青い春』で主役演じてました。
映画と朝の連ドラの構造的な違いとは、
映画は、一時間45分の間集中してみるものと想定されていますが
それと比べて、朝の連ドラは、一回当たり15分。細かい伏線や画面の流れなど、翌日見たときにはあらかた忘れている可能性があります。
しかも毎日見ることのできない人もいます。
それに、見てる間もあさごはん食べたり、隣の人としゃべったりで、ぽつぽつ見落としされることも想定内でしょう。
だから、後々までの大切な伏線になるようなシーンは、何度も何度も繰り返し繰り返し、画面に登場します。
このトンネルに向かって叫ぶ橋本愛のシーンはそのうちの一つ。
橋本愛のキレ芸、絶叫芸は、『アバター』の時にすでにやってますしね。
彼女、適材適所だったんでしょう。
似ているというか、完全に下敷きにしているのって、見りゃ一発でわかるはずと私なんか思ってしまうんですが、
そういうもんでもないんでしょうか?