以下の内容を読まれるのでしたら、こちら(映画の抱えるお約束事)とこちら(映画の抱えるお約束事2 日本ガラパゴス映画)をどうぞ。当ブログの理論についてまとめてあります。
電車男が書類を届ける為に捻挫した足で必死に走る場面。
同じ方向を向いていると、移動が継続しているように見えるということですけれども、
移動が終了したことを示す為に、逆向向きのカットを入れて楔にします。
『クオヴァディス』の移動シーンと全く同じ編集が行われています。
こうやって方向を統一したカットを並べると、移動シーンに於いて点と点を結ぶだけの省略が行えるといわれています。
それはそうなんですが、ここで一つの事に気づかされます。
移動が継続しているという事は、次に来る場面は前の場面よりも時間的に後ということが前提となります。
画面が<−向きに進行すると設定されているという事は、画面に於いて時間が<−の向きに流れているというのと全く同じ事なのではないでしょうか。
だから、時間を遡るシーンというのは、−>向きで進行するのが妥当であるということなのでしょう。
古いクラブハウスの扉を開けた時に、思い出の世界に物語が遡る。
電車男の帰宅シーン。私のいる間は一階に降りてこないで、と妹から言われているオタク兄。
彼にとって家はアウェーだから −>向きで帰宅です。
彼にとっては、オタクグッズで固めた部屋こそが自分の居場所であり、<−向きで部屋に入ります。
この流れで見せられると、部屋に入った時「お帰り」とこっちが言いたくなる。
物語の冒頭で、裸の女に街を走らせると読者の興味を引き付けられる、という小池一夫のセオリーそのまんま。
物語は<−に流れるのだから、飛び降り自殺という後ろ向きな行為は−>の方向になされるものであり、<−方向に飛び降りる日本人は映画とドラマにはいない。
物語は<−へと進むのだから、ポジティブな場面は<−、ネガティブな場面はー>の向きに対応する。
死にたい気持で帰宅した伊藤淳史。
届いた小包に付いてた手紙を読む。実はそれがエルメスからのものだった。
その状況の好転の前触れとなるように彼の向きが、寝返りによって<−に転換されている。
フィギアが、『おにいちゃんのハナビ』での谷村美月の遺影のように利用されている。
生きていない物でも映像の中では演技が出来るという例。