西部戦線異状なし 

私的な意見ですけれど、
自分は反戦映画をうそ臭いと思っているのですね。コドモの頃にうそ臭い反戦教育を義務教育の段階で刷り込まれたのが、大人になってその洗脳から解けまして、その体験から反戦とかラブアンドピース、うそ臭いとおもって生きています。

それに対し、厭戦映画ってリアリティあると思っているんですよ。

この『西部戦線異状なし』1930年作品、第三回アカデミー賞の受賞作品なのですが、
イロイロと謎な部分が自分にはあります。

以下で使用する −−><−−等の記号、ポジティブポジション等の用語は、自分が勝手に考案したものですから、意味分らないという場合は、こちらをまずどうぞ……「映画の進行方向」


まず、この映画のほんの三年前の映画『ナポレオン』には画面の流れを恣意的に作り、それで観客の心理を操作しようと言うある意味で姑息な技法が使われていないのですが、この映画では、そのような技法はどの程度使われているのだろう、
そういう事を考えて映画を見るのですが、

正直、あるような無いようなという感慨を初見では受けました。


ドイツ兵士が主役のアメリカ映画。アメリカ軍はドイツ軍と戦ったのは、この映画のほんの十年前。アメリカ人もそれなりに死んでいます。
良くぞこんな早い時期に、ドイツ人目線の映画が撮れたなと驚きます。
だってイーストウッドの硫黄島の映画って、戦争終わってから60年経ったからのものですよ。

ただ、第一次大戦の映画を見ながら考えるに、
この戦争が人間のものの考え方に与えた影響は第二次大戦よりもはるかに大きいのではないか?共産主義国家が生まれ帝国が崩壊し、それまで正しいと思っていたものがアメリカ以外の国では根こそぎにされてしまった、
そんな風に自分には思われます。

西部戦線異状なし』には、戦争なんかやっていたら人間おかしくなってしまう、という空気に満ちています。
とにかく世の中の流れが戦争を志向し、その結果が若者達の死でしかない現実です。
それ故、登場人物たちがどこにも進めない。−−>の方向にも、<−−の方向にもなかなか進めません。
それが塹壕戦の停滞感にじつに似つかわしい。

もしかすると、画面の流れで観客の心理を捜査する技法をあまり好まない監督だったのかもしれないと初見の時、自分は思いましたが、

この突撃のシーンを見る限りでは、それなりに流れの操作を行っているのがわかります。

突撃してくる敵を迎え撃つ主人公は<−−向きに銃を構えます。
普通、第二次大戦を描いたアメリカ映画なら、主人公の向きは絶対的に −−>とポジティブに勝利の方向を向いているはずです。

その陣地に突撃してくるフランス軍は主人公の敵ながら−−>と動いてきます。

この映画の興味深い点、そしておそらく現在から見ても斬新だと言える点は、
物語の流れは、死の方向に流れています。
そして死ぬ側が −−>の流れに乗るのが基本です。

だから、フランス軍がドイツ軍陣地に到達し、

ドイツ軍が殺される側に回った途端

画面のサイドが入れ替わり、ドイツ軍が−−>向きになります。

また、別の場面でドイツ軍が突撃する時も、死ににいく者たちは

−−>の方向へ進みます。

そして、これは印象深いラストのショットですが、

兵士達は、−−>の方向に死者の世界への行進を続けています。そして、現世に生きているわたし達に向けて、何かメッセージや心残りを伝えようとするかのように、振り返ります。

この映画が今の人間が見ても戦争の迫力に満ちていると感じられる点は、勝利を描く戦争映画ではなく、死を描く戦争映画の態度に由来するのではないでしょうか。

流れを恣意的に操作する技法が完全に確立されてからの映画『突撃』の方がはるかにすっきりした印象を与えはしますが、

西部戦線異状なし』にはダイヤモンドの原石みたいに、後の厭戦映画で何度も繰り返されるモチーフが描かれています。

物語が 死地へむけて−−>と行進するのですから、

死の恐怖から離れる事が出来るならば、主人公達は <−−と逆向きになります。

戦争映画にはさまれる、戦士の休息、はかないロマンスの時には、主人公が暫定的な安らぎを手に入れる事が出来るわけですから、<−−ポジションに位置することになります。

この戦士の休息の逆ポジションも、現在の映画ではお約束事かしています。

そして、『プライベートライアン』がテーマとした、戦場の中でも人間性を保ちたいと兵士が求める事は可能なのか、という事ですが、

主人公は、殺戮や死臭よりも人間にふさわしいものの象徴として、チョウチョに手を伸ばします。そして、それをつかむ事が出来ず、フランスの狙撃兵に撃たれて死んでしまいます。



それ以外にも、この映画でつらいなぁと思わされるのは、
負傷して一時休暇をもらって故郷に帰ってくる主人公が、自分の家に入る時の向きが <−−
なのですね。

映画全体で 生きる<−−

死ぬ−−>と統一してくれたら、もっと分りやすかったのでしょうけれど、

この帰郷の場面は、戦場を経験した人間にとっては、それまでの日常がリアルなものに思われない、たとえ自分の家だろうと自分の母親だろうと、リアルなものに思われない。

死を間近に見続けると、優しさとか思いやりもうそ臭く見えて仕方がないのではないでしょうか。

ベトナム戦争に関しての映画で、描かれたようなことは、『西部戦線異状なし』の中に一通り出てくるように思われます。
プラトーン』も『フルメタルジャケット』も、全部この映画の中に原形があります。

自分が一番分らないのは、どうしてベトナム戦争第一次大戦のあとに、こういう厭戦映画があって、第二次大戦後には、あれだけ人が死んだにもかかわらず、好戦的な映画ばかりだったのでしょうか?

ソ連との第三次対戦を控えていたからでしょうか?
それで、第二次大戦で飛躍的に向上した映像のプロパガンダ技術を駆使して、来るべき次の大戦に立ち向かうような煽り映画をアメリカは撮り続けていたということなのでしょうか?