ハリウッドの大物監督でも自分の撮りたい作品を撮るのはかなり難しいことのようで、
どうしても撮りたい作品を撮るには、交換条件として大ヒット確実の作品を撮らないといけないそうです。
映画は大金の動くビジネスですから、この点で自由にふるまえる小説家とは大きく異なるのですが、
スピルバーグは、白黒で辛気臭い『シンドラーのリスト』の交換条件として『ジェラシック・パーク』を撮らされたそうです。
ティム・バートンは白黒の『エド・ウッド』の交換条件がバットマンシリーズだったとか。
いくら交換条件だとはいえ、自分の資質にまるでそぐわない作品を監督したりはしないでしょうから、ヒット作の方もちゃんとした作品でやっつけ仕事とは言えないレベルになっています。
『エド・ウッド』は最低映画監督と往年のドラキュラスターのベラ・ルゴシの交流の物語ですが、
ベラ・ルゴシ主演の『魔人ドラキュラ』のオープニング。
ほとんどバットマンです。というかバットマンってドラキュラ脚色したもんなんですけどね。
そんなティム・バートンの作品『ダーク・シャドウ』はドラキュラのパロディ映画でした。
200年前からよみがえる吸血鬼をジョニー・デップ、その子孫の人狼をクロエ・モレッツが演じていました。
原作に忠実な部類のドラキュラ映画では、大抵の場合、イギリスの弁護士がドラキュラの館についた後に遅い夕食をふるまわれるシーンがあります。
『ノスフェラトゥ』 1922
『魔人ドラキュラ』1932
だだっ広い食堂で一人食事する弁護士。ドラキュラは給仕するだけ。
ドラキュラの館に住んでいるのは、吸血鬼ドラキュラとその下僕の女吸血鬼だけで、彼らの食事は生き血を吸うことですから、
食堂ってがらんとしていることになります。
『ドラキュラ』1958
『ノスフェラトゥ』 1979
『ドラキュラ』1992
1992年のコッポラの『ドラキュラ』ですと、なにかの冗談か?というくらいにテーブルが大きくて、その端にポツンとキアヌ・リーブスが座っています。
もともとドラキュラの館にも大勢の人が住んでいたのでしょうが、それらの人たちは寿命尽きて死んだり、逃げ出したり、生き血吸われて死んだのでしょう。
そういう本来いた人たち、いるべき人たちの不在を表すには、やたらと大きい食卓に一人しかいないというのはふさわしいのでしょう、
後年に成るほど、テーブルが大きくなっていく傾向があるように思えます。
『ダーク・シャドウ』 2014
やはり何かの冗談か?というくらいに大きな食卓ですが、このパロディには多くの登場人物と家族が出てきますので、それだけの人物を映した上でドラキュラ映画の伝統的ながらがらの食堂を表現するには、こうならざるを得なかったということでしょうか。
それまでの映画ですと、弁護士が座っていた端の席には、
その場で一番異質な人物が座ることになっており、
当初は人狼であるクロエの席だったのが、
墓場からよみがえったジョニー・デップの席になりました。