『月世界旅行』  1902年

以下の内容を読まれます前に、こちら(映画の抱えるお約束事)はどうでしょうか。このブログの理論的根拠について集中的に述べた箇所です。


いったい何時から映画に於いて、画面の方向を操作することでサブリミナル的に観客の情感を操作する方法が行われたのかを見つけようと、サイレントフィルムをyoutube等でよく見るのですが、

一方向への継続した移動を複数のカットを繋げて表す場合、同じ方向のカットが並び、移動方向の変化は画面の方向の変化となって表れる、
という、当たり前といえば当たり前の表現法は、実は1902年の時点で映画に取り入れられております。

ここ10年くらい動画をPCで編集することが世間一般に広まりましたので、全くのずぶの素人でも、しばらくPCいじっているうちに
こういうことを自ずと発見しそうなものですが、どうなんでしょう?
私は常に時代遅れのPCを使っているので、動画の編集などという機械に負担のかかる作業をやったことがありません。


学会での発表シーンから始まります。
正直、何が行われているんだかはっきりとはわかりませんが、望遠鏡の目指す方向は −−>です。




ジューヌベルヌの作品を基にしたらしく、大砲の弾としてロケットが打ち上げられます。
もちろん、月の所在地を画面の右端の奥と設定して、ひたすら −>方向の画面が連なります。


何というか、痛々しいというか微笑ましいというか、欽ちゃんの仮想大会のような表現であります。
逆に言うと、欽ちゃんの仮想大会というのはサイレントフィルムのライブ版のようなものかもしれません。
萩本欽一チャップリン好きですし。




順調だった−>方向への移動は、この丸木橋を境に<−方向に転じます。
蛙跳びの月面人に遮られて、これ以上月世界を探検することが出来なくなり、


月の王様の前に引っ立てられますが、


そこでひと暴れして脱出。地球に戻ります。
特に字幕の説明が無くとも、弾丸の目指す方向が<−に切り替わっているので、彼らが火星へと更なる旅をするのではなく、地球へ帰還することが推測できます。



地球の海に不時着すると、既に目的地ではなくなった月は、画面の左側に浮かんでいます。


もしかすると、世界最初のロードムービーと言えるかもしれません。
映像は、継続した移動シーンを継続した動画で見せるのではなく、いくつかのカットに区切り、その方向を統一しておくことで継続性を示してみせるのが普通ですが、
その普通なことが、この段階で既に行われております。
非常に単純な技法なのですが、既にこの時点でサブリミナル的な技法であり、言われてみないと気がつかないボンクラもたくさんいることでしょう。

映画は、その後何十年もかけて、この方向表示を使って、物語の目的に対してポジティブとネガティブのサインをサブリミナル的に示し続ける事で観客の情感を操作する手法を磨いていくことになります。



その結果、幾つかのお約束事的表現が順を追って映画史に登場していくことになります。


この電波ブログは、そのことについて延々と書かれているものであります。



まあ、でもしかし、
映画が誕生して、単なる見世物から舞台劇に代わりうる長編ストーリーを語りだすまでには、10年以上の時間がありまして、
その初期の映画には、この『月世界旅行』のような方向操作を全く行っていない、気の赴くまま、太陽の順光のままに盗られたようなものも多々あります。

この画面の方向操作という技法は、限定された条件下でより多くのことを映像で語ろうとしたときに生まれたものの様であり、
画面で何かが動いていればそれで十分というような人たちにとってはどうでもよいことだったのでしょう。

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