『北斗の拳』の元ネタがマッド・マックスですが、
『マッド・マックス3 サンダー・ドーム』が公開されたときには、『北斗の拳』が大人気の頃でした。
わたしも当時の観客として、いやがおうにも『マッド・マックス3』を『北斗の拳』と比べてしまい、それゆえに、
「なんか今一だったなぁ」と感じたものでした。
悪玉の元締めのティナ・ターナーが中途半端に善人なこと、それに彼女の演技は素人なのが見ていてつらい。
メル・ギブソンはすっかりスター然としてしまい、一作目二作目にあったヤバそうな感じが無くなっていました。
そして、物語りに子供が大量に関与しているので、過激なヴァイオレンスに走れないということ。なんかスピルバーグのインディージョーンズみたいな雰囲気に収まっています。
アメリカ資本に取り込まれたためハリウッドの常識の範囲にまとめられてしまったのでしょう。
一作目二作目で大した必要もなしに出てきた女の人の裸もないですしね。
こちらの映画、今となっては昔の映画ですが、
『マッド・マックス2』の舞台を砂漠から海に置き換えただけの作品と言われています。
んで、元ネタのような興行成績を上げることができたのかというと、全然ダメでした。
開始早々女子がレイプされるとか、飲料水は尿をろ過したものとか、ありきたりのアメリカ人が不快に思うようなことを元ネタの『マッド・マックス2』のごとく突っ込んだのがまずかったのかもしれません。
ついでに言うと、海水でぬれたケヴィン・コスナーの頭髪が相当に薄かったというのも婦女子の嫌うところだったのかもしれません。
ま、なんにしろ、ハリウッドにはハリウッドのしきたりというものがあるようです。
『マッド・マックス3』に関して言いますと、
ハリウッドのしきたりにとらわれたという以上に、カーチェイスがほとんどなかったというのが当時映画館で見た時にはガッカリでした。
恐らくほとんどの人の感想は、これなんではないでしょうか?
まあ、舞台設定として石油が完全に枯渇して豚の糞を燃料にしていたので、カーチェイス成り立たないんですけどね。
『Fury Road』のギタープレイヤーに度肝抜かれた人もいるかと思います。
ま~、とんでもない描写ですけれども、監督のジョージ・ミラー本当にロック好きらしいです。
そのことは、旧作シリーズの悪役の台詞がブルース・スプリングスティーンの詞から引用されたものがあることからも分かるのですが、
三作目が『サンダードーム』で、新作が『Fury Road』
Thunder Road-Bruce Springsteen
ま、単なるこじつけかもしれませんが、
マッド・マックス・シリーズには、
太陽の方角に向かって命がけで疾走する、というモチーフが何度も繰り返されます。
ブルース・スプリングスティーンの初期の作品にも共通する美学ですが、
でもそういうのって男の本能的な行動原理であり、
女性から見たら世界って別の在り方してるはずです。
『Fury Road』より。
緑なす故郷を目指してきたはずが、その先には砂漠しかないと知った時の絶望。
太陽の方角に向けて明日なき暴走するってのもいいんだけど、そういうのもう十分やろ、
約束の土地なんかどこにもなくて、自分の居場所を地道により良き場所に変えていくしかないんだよ、
そういう意味の教訓でしょうか。
『Fury Road』って『マッド・マックス2』の男の美学を女性の立場から批判的にとらえ直した作品、いやもしかすると人間の存在をより高い地点から俯瞰的に観察した作品だ、と私は考えているのですが、
『マッド・マックス3』にも既に、太陽の方角に向けて明日なき暴走はもう十分だろ的な教訓があるように思われます。
ラスト間際、追手から子供たちを乗せた飛行機を逃がすためにマックスの車が太陽の方角に突っ込む。
尤も、マックスは、直前に車から脱出してますが。
『マッド・マックス3』の副題はサンダードームですが、この作品に於いてサンダードーム内での決闘って、そこまで比重高くないじゃないですか?
それで、期待してたカーチェイスもないし、「えっ、なにこれ、サンダードームの決闘って割にしょぼくね、というか、これだったら『北斗の拳』のほうが面白くない?」とか当時は思ったんですが、
今になると、副題ってBeyond the Thunder Domeってサンダードームの向こうに、って意味だと分かるのですが、
マッド・マックスシリーズの売りだったバイオレンスの美学をサンダードームに集約し、そこを超えて新しい世界を築く、そのために子供たちを知識と共に安全な場所に逃がす、
そういう作品だったのでしょう、きっと。
こういうこと考えると、『Fury Road』って『マッド・マックス2』のリメイクというよりは、
2と3を合わせたもののリメイクなのかもしれません。
ま~、トーカッターがイモータン・ジョーに生まれ変わったとするなら、
三作分まとめてリメイクしたといえるのかもしれませんね。新作の濃さって、その密度ゆえなのでしょうか。