ランボー 規格外の方々

以下で使用する −−><−−等の記号、ポジティブポジション等の用語は、自分が勝手に考案したものですから、意味分らないという場合は、こちらをまずどうぞ……「映画の進行方向」


ランボー、主人公ですから、イケイケで −−>の方向に弾撃ちまくるかと思いきや、そう単純な話でもないのです。

一応主役でヒーロですから それらしく−−>の方向で画面に登場します。

この時既にロッキーシリーズでスタローンは有名ですから、多少胡散臭いなりしていようとも、彼が主役でヒーローである事は観客みんな分りますから、−−>登場でなんの問題もありません。

その後、些細な事で警察に連行され、そこでリンチ同然の取調べを受け、そこから脱走する時は、 ヒーローの逆境のお約束事どおり <−−のポジション取りです。

で、問題なのは、その後のランボーなのですが、
彼はたった一人で数多くの敵に対するのですから、全編通して彼は逆境に身を置いているといえるのですが、
それ以上に、一般観客は、ランボーに狩られる立場の州軍や警官のほうに共感を感じていないでしょうか?



ホラースリラーの巨匠ヒッチコックが語っていたことに、観客はたとえ悪役だろうと命が危険に晒されている方に共感するそうです。

話の行きがかり上、保安官は悪役かもしれませんが、
彼には彼なりの論理があり、また私たち観客からしてもアメリカの田舎とはだいたいがあんなもんだという一般的な思い込みもあり、
映画の後半で、彼が人好きのする人情味を示す事もありで、
観客は、なかなか彼のことを嫌いになることができません。

それと比べると、ランボーの方は、スターの演じるヒーローでありますけれど、
一般人的には、規格外のバケモノです。ヒーローなのに、主役なのに<−−側に位置し、破壊行為の限りを尽くすというと、自分は『ゴジラ』を思い出してしまいました。
ランボーの心の闇の深さが、また一般観客から彼をバケモノとして遠ざけているのですが、その点でも、ゴジラが原爆の悲しみをしょった上で戦後の軽薄さと対峙しているという構造を思い起こさせます。

ランボーみたいな奴を受け入れる余地って一般社会には無いですから、彼は最後に刑務所に行って、続編以降は世界中の紛争地域に送り込まれることになります。

主人公でヒーローでありながら規格外で、一般人の共感の許容範囲を超えてしまい、それ故、彼に狩られる立場の方に共感が集まる、

なんか、割に合わないはなしです。