「コドモのコドモ」 

基本、物語は共感を無理強いすることで成り立つもので、

物語の主人公に共感できない、其の他の登場人物に共感できない、
ただ画面がきれいなだけ、ただストーリーが刺激的なだけ、

そういう場合だと、みている人の感想というのは、多かれ少なかれ「I am Ghost」とか「ユビサキから世界を」みたいな物になるはずです。


コドモのコドモ」正直、どのキャラに共感したらいいのか、迷う。

「ちょーうける、し」とか「自分で払う、し」とか、
「し」、で文章止めるような話方するお子ちゃまに何共感しろって言うんですか?
「し」で、文章止めるな。「し」って、他にも理由を列挙する時に使う詞だぞね。
「ちょーうける、し」とか言って、他になんか理由示せるのか?

この中途半端な、喋り方。自分が多数派であり、他に誰かが自分の思うことを補ってくれるという、いかにも中途半端な自我形成という印象がひしひしと伝わってきて、

自分にはとんでもなくウザかった。

まあそれでも、主人公が、そんな話方してたのは物語の前半だけで、妊娠が進行して言ってからの後半は、普通の話し方に変わるので、

そういうのが、主人公の内面的成長であり、妊娠する事の功徳とでも観客に認識させたいのかもしれないけれども、

自分は無理ですわ。「チョーうける、し」とか、「し」で文章きるような話方。
もうその時点で、アウト。子供産む資格なし。