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どうしてブルースリーは怒っているんだろう?

ボクシング・カンフー・戦争映画

ブルースリー、自分には怒っているように見えるのですが、
何で怒っているのかについては、
彼個人の人種差別の経験とか、思うようにキャリアが発展しなかったことへのストレスとか、いろいろあるとは思いますが、

カンフーって、映画にすると、ボクシングと同質の問題があるのですね。


以下で使用する−−><−−、ポジティブポジション、ネガティブポジション等の用語は、自分の個人的造語であり、その意味が分らないと、以下の文章の意味はほとんど分りませんので、興味のある方は、まずこちらをどうぞ……「映画の進行方向


映画は香港でもの方向に進みますから、主人公の立ち位置は、サイドになるのが普通なのですが、ブルース・リーって左利きらしいですよね。

それで、格闘シーンの基本映りは


ブルースリー向きでないと、背中ばかり映ってつまらないことになります。


最後の鏡の間のシーンですが、

物語は−−>に進むのですから、
悪党を −−>方向に蹴り飛ばしてハッピーエンドになるかと思ったのですが、


このキックで、決まった!と思ったんですが、まだトドメではなかったのですね。


最後のトドメは <−−と逆方向にけりこみます。

レイジングブルの場合だと、デニーロが負ける場合以外で<−−方向に敵をたこ殴りにするときは
「あなたそこまでやりますか?」的な感慨を観客は受けるのですけれども、
ブルースリーにとっては、この麻薬売春組織の一連の任務は彼にとっての個人的復讐も関わっているんで、悪党に対してはどれだけ怒ってもかまわない訳です。
観客の共感を超えるくらい怒り爆発させてもかまわない。

とりあえず、そういう趣旨にしとかないとブルースリーの左利きの問題が解決しなかったのでしょう。彼の主要作品四本は、最後のキックはすべて<−−方向にけりこまれます。

彼の映画、ストーリーは復讐が主になっていますから、というより、ブルースリーの左利きを映画的に扱うと、そうならざるを得なかったのでしょう。あの怪鳥の雄たけび「アチョー」とか、やたらとテンションの高い振る舞いとか、上述の趣旨に沿った演出なのではないか、自分はいまのところそんな風に考えています。



もう一点興味深いのは、ブルースリーって今でこそ誰もが知るスーパースターですが、
燃えよドラゴン』の公開時って、世界的にまだ無名でしたから、
観客は誰も彼の顔がほかのアジア人と区別ついてないはずですよ。
私たちに黒人とか白人がみんな同じ顔に見えるように、白人とか黒人からすると中華系の顔って全部おんなじに見えるはずでしょう?
だから、ブルースリーがこの映画の主役であることを示すために、相当めんどくさい手続きを踏む必要がこの映画にはありました。


ブルース・リーが登場しますが、その立ち位置は<−−サイドです。

この一連のシーンというのは、

この白人の上司の目線に偽装されているのです。
外人が異国に登場するときには、たとえ主役であろうと<−−向きの登場がお約束事化しています。
この白人のおっさんは<−−方向を向いています。
そして、
「一人の白人がアジアにやってきて、そこで何かとんでもないものを見てしまった!」という白人目線の物語を観客は強要されているわけです。

この「燃えよドラゴン」がブルースリーの世界デビューなんですから、観客のほうも、「なんかこの東洋人、やっべー」みたいな感覚でブルースリーの存在を捕らえていくことになります。

本来、ブルースリーが主役ですし、圧倒的な身体能力とカリスマの持ち主ですから、そろそろ観客に顔を覚えてもらえただろう、というところで、−−>のヒーローのポジションに位置換えをします。

それが、このオハラとの試合の場面。

この映画の観客には、香港人でも日本人でもなく、欧米の白人が想定されています。
だから、
普通に白人とブルースリーが戦ったら、白人の観客は白人の肩持っちゃうはずなんですよ。だから、誤解の余地も無いとんでもない悪党の白人を登場させてきますし、その時のブルースリーの立ち位置も、誤解の無いように−−>と物語のイニシアチブをとるヒーローのポジションになります。
その代わり、背中ばかり映って見栄えがしないのですが、そこはいろいろ工夫してブルースの技を美しくカメラは捕らえます。

白人ボコって世界のスターになるってのには、いろいろとめんどくさい手続きがあるわけです。



映画の中盤のこの試合のシーンから、ブルースリーは世界のスターになったということです。