『桐島、部活やめるってよ』のおかげで、橋本愛が気になってしょうがなくなり、
『Another』見てたんですが、
ひどいもんです。
映画における退屈さについて小論文一つ書けそうな作品でした。
まあ、それでも見てしまうんですよね。映画としてはあまりにしょうもないので、映画の仕組みの勉強に集中できるのですが、
ストーリーとかシーンの迫力とかそういうの抜きでも、
美少女一人出てると、それなりに時間が潰せてしまいます。そんでもね、演技できない美少女だと映画一本分続けてみることは難しいですね。
『桐島、部活やめるってよ』の残像が頭に残っていなかったら、私でも、途中で早送り30倍速でしょう。
どんな映画なんですか、『Another』って?
と言われますと、
主人公が橋本愛と二人っきりで屋上で昼のお弁当食べてるのがうらやましかった(完全に『桐島、部活やめるってよ』の残像曳づっています)くらいでしょうか。
美少女って存在感が強いですから、下手に使うと映画のバランスをぶち壊してしまいます。
せめて泣き叫ぶ演技は、もっと上手くやってほしかった。
そういえば、沢口靖子、
殺人的な演技力なんですが、橋本愛はあれに比べりゃ全然オッケーなんですけど、
もしかすると、超絶美少女として生きてると、普通の人間とは全然違う現実生きることになるのかもしれないな、なんて思いました。
会う人ごとに、それが全然知らない初対面の人からも、「お嬢ちゃんかわいいね」とか言われる毎日が延々と続くわけで、
超絶美少女と付き合えるとは思ってないけど、そんでも、少しでも好印象与えたいとなんか無理したような態度に延々と接し続けているわけで、
つまり、周囲の人たちみんなが下手な演技して彼女とかかわってるんでしたら、彼女自身の挙動の在り方も下手な演技のようになってしまうんでないか。
超絶美少女って、まあ、特に過去の沢口靖子ですが、あの演技って、彼女にとっての日常だったんじゃないか?と思ったりもしました。
『桐島、…』の場合だと、橋本愛に普通な格好させて、地味な性格あてがって、そんで、やっと物語の中に居場所があるって感じです。
「いわれてみりゃ、高校時代の一番の美少女って、一番目立つ女の子とは微妙にずれてたよな」とそんな風に思わされた時点で、『桐島、…』のキャスティングの妙にまんまとやられてしまったということなんですが、
逆に、超絶美少女ぶりがどっぷりと機能したのが、『告白』
以前、この映画のこと、命の大切さについて語ることが言い訳なだけの猟奇サスペンスと書いたのですが、
松たか子の演技もよかったですけど、
橋本愛いなかったら、ほんと薄っぺらい映画になってたと思います。
こういう映画って、まじめに演じたり、まじめに映像の工夫したりするほど、嘘くささが増していくんですが、
橋本愛の、もしかしてこの人演技してないのかも?という雰囲気が、映画全体を救ってました。
『桐島、部活やめるってよ』
あの橋本愛、ほとんど演技してないよね、って思ってるんですが、
彼女のあの「演技」があるから、映画のリアリティ増してるような気がします。