小説と映画について考えてみる

この間、知人と、小説を読むのは難しい、五回くらい読まないと意味わからなかったりする、という話をしていまして、


映画を基準に考えますと、小説とは省略だらけのスカスカなものでして、

その省略をどうやって頭の中で埋めているのか?ということは、いまさらになって私には気になりだし始めました。

また、映画の場合は、詰まる場面もつまらない場面も一分は一分と同じ長さなのですが、

小説の場合は、つまらない場面は読み飛ばされ、詰まる場面では立ち止まられるので、「サブリミナルな仕込」というものがやりにくいのです。

また、映画の場合は、キャラクターを左右ひっくり返したりして、誰目線の場面なのかを暗に表示しておりますが、

小説の場合、三人称的記述でも、誰目線の場面か?というものはどこかにあるのでしょうか?


また、映画の場合完全主観カメラの映画はほぼ存在しませんが、それに対して小説の一人称語りの多いこと多いこと。

小説の一人称語りは映画化した場合、どうなってしまうのでしょうか?


そういうことをつらつら考えながら、のたりのたりと小説を読んでいくと、
なかなか面白い、というか、気づかされることは多いです。



とりあえず、こちらの小説を読んでいろいろ考えさせられました。
構成的によくできた小説であります。

怪物はささやく

怪物はささやく


いつものとおり、進行方向に注意してみると、和訳されたものは挿絵の向きが左右反転しております。