私の部屋の中では『グロリア』つながり映画祭

 

先日、以前からずっと気になっていた映画『グロリア』を見ました。

 

「今まで見てなかったのか?君は!」というレベルの名作であり、この映画のリメイク、オマージュをささげた作品はたくさんあります。そして、『グロリア』以前にも似たような物語の映画って結構あるものでして、

そういうのを気の赴くままに順々に見ていきました。

 

グロリア [DVD]

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 1980年の映画で、ベネチア映画祭金獅子賞受賞。

あらすじ…人生の裏街道を歩いてきた中年女性グロリアが、隣の家の子供を預かった直後、その一家がマフィアに惨殺される。

それから、マフィアの追手から二人は逃げ回るのだが、その過程で二人の間に理想的な人間関係が育っていく。


Gloria (1980) - YouTube

ちなみに、一ファンが勝手に編集したらしい動画ですが、そのBGMに使われているのは、ポリスの『マジック』をどこかの誰かさんがカヴァーしたもの。

 

『グロリア』は映画ファンの間では有名なのですが、一般的知名度の浸透具合でいうと、こちら『レオン』の方がランクが上でしょう。

そして、『レオン』のエンディングの歌って、ポリスのスティングが歌ってました、そういえば。

レオン 完全版 [Blu-ray]

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 実のところ、『レオン』って『グロリア』の男女をひっくり返して、男性大人・女性子供の設定に変更したリメイク映画でして、

そのことをわかったうえで『レオン』を見てますと、ナタリー・ポートマンの家族がマフィアに皆殺しにされるまでの展開が『グロリア』と比較した場合には、顕著にタルく感じられます。

 

非常に人気の高い映画なのですが、


映画 「レオン」(Leon) - YouTube

この映画最大の欠点は、当時12歳のナタリー・ポートマン

かわいすぎる、というか既に十分に美人さん。むしろ現在の彼女の様子は劣化したとしか言いようがないくらいで、

それゆえ、映画にあまり集中できない。

見終わった後に「ナタリー・ポートマン可愛かったけど、どんな話だったっけ?」みたいになってしまいます。

「あの人私の父親に見えるけど、実は恋人なの」と彼女がホテルのフロント係に言うシーン。

ナタリー・ポートマンの可愛らしさにめまいがしそうなシーンですが、そのせいで二人はホテルから追い出される羽目に成ります。

 男性大人・女性子供の物語の物語が、一般社会的には不道徳とされているのが露骨に示されている場面です。

これが、女性大人・男性子供の場合だと、

「グロリア、愛してる。死ぬほど愛してる」と6歳の男の子が言ったところで、観客のほとんど誰もそこに猥褻感とか不道徳さを見出したりはしません。

それは、女性大人・男性子供の物語は、結局のところ母性愛に収束してしまうからなのですが、

男性大人・女性子供の場合は、年の差恋愛物語にしかならないのですね。

 

これと通底する理屈でしょう、世のお父さんたちは思春期の娘から

「パパ、キモい!」と謂れもない罵りを受けているのですが、

世のお母さんたちは思春期の息子から

うぜぇ、とか、ばばぁ、とか言われることはあっても、性的な不快感を表明する「キモい」とまでは言われません。

 

 

大人・子供の物語は、子供が背伸びして大人についていこうとする物語であるゆえに、子供がタバコ吸うシーンがよく出てきます。

ナタリー・ポートマンもタバコ吸ったり、酒飲んだりします。

もうこの映画から20年たちましたが、子供が酒飲んだりタバコ吸ったりするシーンは検閲されずに公開することは可能なのでしょうか?

 

 

 

この年齢差男女の物語群、普遍的に人間の興味関心を引くテーマらしく、数多くありますし、また制作者同士でも互いに気になるのでしょう、

それぞれの映画の中でオマージュとでもいうべきシーンがいくつも見られます。

 

 

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 年齢差男女の物語でしたら、これは女性79歳男性19歳で年齢差60歳。

その奇抜で異常な設定ゆえにカルト映画として評価が高い。

 

生きる気力横溢した老女と、死ぬことしか考えていない19歳の男。

枯れかかった街路樹を引っこ抜いて森に植えに行くシーンがありますが、

生きる気力のない男の子に生命力を取り戻させるのを象徴するかのようなシーンでしたが、

もしかすると、『レオン』のラストでナタリー・ポートマンが鉢植えの植物を地面に植えなおすのは、この映画からきているのかもしれません。

 

 

 

クレアモントホテル [DVD]

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 こちら2005年のイギリス映画。

 

老女と青年の年齢差物語なのですが、

誰も面会に来ない孤独な老女が老人ホームの仲間に対するメンツから、たまたま知り合った青年に「孫の振りしてください」と頼んで仲間をだまし続ける物語。

作中の仲間をだますだけでなく、観客にさえもこれが恋愛物語の変形にすぎないことをかくし通して騙し通すのですが、

二人が公園のベンチに腰掛けて仲良く話しているところに、青年の元カノが通りかかり、

「さっき遠くから見てたけど、あんた新しい世界に可能性見出したんじゃない?『ハロルドとモード』みたいな。って、私の言ってる意味わかるでしょ?」

映画の台詞で種明かししてました。

 

 

 まあ、しかし、年の差男女の物語といいますと、

女年上・男年下は変化球にすぎず、

ショタ系の話が世の三面記事を盛り上げることはほとんどありません。よほどのことやらない限り女年上・男年下は、母性愛的な話に収束してしまうからなのでしょう。

 

やはり、年の差男女の物語の本道はこちら、男年上・女年下の方。

シベールの日曜日』1962年制作のフランス映画で、その年のアカデミー外国映画賞受賞作品。

 こちら絶対に宮崎駿が『千と千尋の神隠し』の参考にしているだろう映画です。


Child actress - Patricia Gozzi - Sundays and Cybele ...

インドシナ戦争にパイロットとして従軍し、その任務の中で少女を打ち殺したことからメンヘラ化した青年が、修道院に捨てられた12歳の少女と知り合います。

毎週一回の面会日に二人仲良く遊ぶことで、青年の心が癒されていくのですが、…

 

戦争を起こした政府の罪、何もしなかった教会の罪、そしてそれらをすべて現地の兵隊が背負うことになる。

その癒しを与えてくれるのが本来は有責任の社会でも政府でも教会でもなく、不幸な境遇の少女なのですが、

そういう物語構造を無視して、虚心に画面だけ見てますと、

この映画、相当ガチにそっち系の内容です。

 

『レオン』の中でも、

カフェの中でレオンが商談しているとき、店の外にいるマチルダに少しばかりヤンキーがかった少年が言い寄って來るのですが、その彼をレオンは突き飛ばします。

「あんな奴とつるんでたら、お前までダメになってしまうんだぜ」とか言いますけど、

傍から見ると、単なる嫉妬にすぎません。

 

そして、こちらの『シベールの日曜日』は、

メンヘラ青年とその介護にあたる女性 そして12歳の孤児の三角関係の物語です。

そして、大人男性・子供女性の不道徳性ゆえに物語はロミオとジュリエットのような悲劇に至るのですが、

まあ、それにしても、話の多くの部分は、三角関係とそれにまつわる嫉妬にあてられています。

 

ちなみに、この手の物語の一番有名なのは、ナボコフの『ロリータ』なのですが、

その小説が発表されたのが1955年。

 

性的に倒錯した主題を扱っているため、アメリカでは5つの出版社から刊行を断られた。ナボコフの代理人はさまざまな出版社に足を運び本を読んでもらったのだが、各出版社の編集者は作品のテーマを見抜いてはいたようだが、そのあまりに難解な内容からか、これは読者には「ポルノ」にしかみえないという理由で出版を拒んだ。初版はポルノグラフィの出版社として有名なパリのオランピア・プレスから1955年に出版されたが、グレアム・グリーンらの紹介により読書界の注目の的となる。

 (ウィキペディアから)

 

『レオン』も『シベールの日曜日』もフランス映画なんですが、どうも、フランス人はアメリカ人よりも、ロリコンに対して寛容なように思われます。

また、グレアム・グリーンは『第三の男』の脚本家であり、著名な小説家でもあったのですが、個人の趣味としてはガチのロリコンだったそうです。

 

 

 意外なところで、タモリの主演作品。

 水商売している母親を店の外でずっと待っている女性子供とジャズバンドをクビになって仕事も何もない中年男性。

少女に頼まれるまま自転車で一緒に海に行ったら、そこから二人で自転車一路北を目指すはめになるが、

気が付いたら、男は誘拐犯として指名手配されていた。

 

見事なまでに、上で紹介してきた映画群の毒気がない作品。

その理由は、やさしさと寂しさをテーマとしていて、恋愛の要素がどこにもないから。

女の子が演技できなかったのか、脚本があっさりしすぎてるのかわかりませんが、

女の子の個性が全く描かれておらず、

この映画にはタモリしかいないのですね。

そして、日本を北へ北へと向かうタモリに、いちいち有名な俳優が数分間すれ違う役で絡んでくる。

自分的には、伊丹十三がツボだった。

伊丹十三は、映画監督になって中途半端に成功してしまい、ハウツーもの映画を作る人というイメージが強くなりすぎたのですが、役者だけやってたら重厚でありつつ懐の深い人だったんですよな。

「あなたは日本を代表する映画監督の息子なんだから、映画監督をやるべきだ」と嫁の宮本信子が言ったたそうですし、

「自分のカミさんはいい役者なんだけど誰も彼女主演の映画を撮ろうとしない、だから…」

そういう成り行きで、伊丹十三は映画監督になったらしいんですが、

彼の昔の演技を見ると、

役者だけやっててもよかったのにな、とおもうとこです。)

 

タモリはほとんど演技しなくて、絡んでくる俳優が上げ膳据え膳のように演技でもてなしてくれるのですが、

これがタモリに示された映画のやさしさとして、

タモリが少女に示すやさしさと対応しているように思われました。

 

これだけ毒気のない映画ですが、女の子を喜ばせるために雪の中でクリスマスツリーの飾りつけをするシーンは、しっかりと『シベールの日曜日』へのオマージュとなっています。

ちなみに上で紹介してた外国映画では、『グロリア』を除いて主人公の大人はみんな死にます。

タモリはどうなのかというと、誘拐犯として逮捕されるから悲劇的結末なのでしょうけれども、

恋愛要素のない毒気の抜けた物語ですから、その分減刑されたと私は受け止めました。

タモリが女の子と銭湯に浸かっていると、内藤陳がやってきて訳わかんないこと言って絡むんですが、

今だとこういうシーンもう撮影できなくなってしまいました。

 

 

こちらは『ペーパームーン

この映画に出演したティータム・オニール、10歳でのアカデミー助演女優賞受賞。

これはアカデミー賞の男優女優部門での最年少受賞記録です。

顔的には、広末涼子と似ています。


Paper Moon (2/8) Movie CLIP - Too Young to Smoke ...

 

 

みなしごになった女の子が、恐らく自分の父親かもしれない男にくっついてアメリカを旅する物語です。

恋愛話は基本的に関係ないのですが、男がストリッパーみたいな女芸人に入れあげてしまい、後先考えずじゃんじゃんお金を使ってしまうんですが、

その相手に対して、嫉妬というか、それともなわばりに入ってきた他人に対しての不快感というか、微妙な感情を見せるティータム・オニールの演技がいい。

 

大人と丁々発止やりあっていく役なので、本来大人の専有物であるタバコを彼女が吸っています。

 

ちなみに、彼女、あまりに若くして成功したゆえに、芸能界の暗黒面に堕ちていってしまいました。この映画の数年後には、タバコどころか、マリファナとかコカイン吸ってたんですよね。

 

ちなみに、『ペーパー・ムーン』より少しだけあとの映画で、ヴィム・ベンダースの『都会のアリス


Alice in den Städten - YouTube

この映画製作中にヴェンダースは『ペーパー・ムーン』を見て、あまりに話が似ているので、映画制作を途中放棄したくなったそうです。

大人の男と子供の女が家族を求めてさすらうロードムービー、そう要約すると、日本とも確かに同じです。

まあ、女の子の方はタバコ吸いません。

それに、二人は血縁関係まったくない設定です。

だから女の子が祖母の家についたら、『ペーパー・ムーン』とは異なり二人は別れなくてはならなかったのですが、

別に、別れた後も手紙や電話のやり取りずっと続てもいいわけです。

 

ベンダースが20年後に作った『時の翼に乗って』に二人が端役で一緒に出ていたことを、今になって知りました。

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これは見ても、観客誰も気が付かないと思いますが、

ただ、ヴェンダースの自己満足的には、『都会のアリス』の二人って、以後離れられない仲になって、それがずっと続いているということなのでしょう。

 

ちなみに、わたくし、どこかで『ペーパー・ムーン』の元ネタがフェリーニの『道』だという話をどこかで聞いたか読んだかした気がしていまして、

ネットで調べてみたんですが、どこにも見つかりませんでした。

もしかすると空耳、空目だったのかもしれません。


"La Strada" di Federico Fellini - trailer ufficiale ...

 

フェリーニは『81/2』あたりでタガが外れるまでは、ネオリアリズモ調の映画撮っていた人と私は思っていたのですが、

『道』を見直してみると、この時点で相当に既にタガの外れた人だったことに気づきました。

いや、もしかすると、カトリックの宗教モチーフというのは、現実世界から遊離したものであって、それをラテン系の国の映画にキリスト教が出てくる場合は、

ほとんどがタガの外れたものになっている、そんな気がします。

 

また、主役のジュリエッタ・マシーナフェリーニの嫁だったのですが、

『グロリア』のカサヴェテス監督と主演のジーナ・ロランズの場合もそうでしたが、

特別美形でなくとも、自分の旦那が監督してくれる場合は女優は魅力的に画面に映るもののようです。

ちなみに、ベネチア映画祭の銀賞とアカデミー外国映画賞受賞作。