『ちりとてちん』 36話

映画賞に主演賞と助演賞があるのですが、

どこからどこまでが主演でどこからどこまでが助演で どこからどこまでがその他チョイ役なのかという事ですけれども、

難しい問題です。


特に、連ドラのように長尺のドラマになると、主役は誰かははっきりするのですが、誰までを助演といっていいのかがよく分からなくなってきます。

ちりとてちん』で言うと 渡瀬恒彦は助演と言っていいのだろうか。 では川平慈英は助演と言っていいのか? 一番弟子草原と四番弟子四草は助演の内に入れていいのだろうか?

難しいところです。

一番弟子と、四番弟子に関しては、師匠の人格の優しさと素直じゃないところを二分割した物語上の機能的キャラで、

実在感ある人格というよりは物語上の機能的キャラは、助演賞候補にはならないだろう、というのが私の意見です。


日本の映画・ドラマは基本的にこのように画面上のポジションを取ります。
善玉キャラであったとしても、自己の目的を見失っている場合、自己を偽っている場合は、向きが基本となります。


二番弟子草々に頼まれても、落語に戻ることはないと突っぱねる師匠。
そしてその言葉は本心ではありません。

わたし的には『ちりとてちん』で一番泣けるシーン。

師匠に見捨てられたと感じ、落語を捨てたことにし、冷酷な虚勢で表面を作ってきた四番弟子が、
じぶんの本心を短いセンテンスで語る九官鳥を前に泣き崩れるところ。

虚勢と本音が戦って本心が勝つところを 画面上左右の対立としてあらわした画面。


そして、四番弟子を代わりに泣き崩させましたから、
師匠にはそんな無様なことはもうさせません。

再び高座に上がる師匠。

泣き崩れるのは、見ているこっち側だったりします。