『舞妓Haaaan!!!』

脚本・クドカン

これもまた、『あまちゃん』のような話です。

わたしも含めて、阿部サダヲについて誤解していた人は多いと思います。

「こんなカッコ悪い僕だけど、頑張れば輝けるんだよ」と、そういう人ではないのですね。

ルックスでみんなそう騙されてしまうと思うんですが、
意外にも、彼に似合う役って、大抵スーパーマンみたいな役ばかりです。




白いブリーフで荷造りしながら、柴咲コウに別れ話。
序盤のたったこれだけの描写で、のちのスーパーマン的な活躍が暗示されます。

白いブリーフという激しくマイナス要因にもかかわらず、柴咲コウを平然と捨てて悔やむところのない男。
こやつ、どんだけのポテンシャルの持ち主よ?と、ビリビリ感ずるところがこの時点であるわけです。


阿部サダヲ、おそらく、脱いだ時に笑いをとるため体の表面にそれなりに脂肪の層をつけて、だらしなくみせようとしているのでしょう。
でも、これ、いわゆる格闘技系の脂肪のつき方で、その数センチ下には筋肉がムキムキなのが見て分かります。
しかも、やたら身のこなし軽い人ですし。



あまちゃん』で主人公が、海女になって、アイドル目指して東京に行って、また岩手に戻って、とひたすら何かを求めて自分を変えていきますが、

この映画での阿部サダヲも、ラーメン会社で出世して、野球選手になって、それから役者になって…と常に変わり続けます。

このがむしゃらな感じが『あまちゃん』そっくりで、クドカンの臭いが濃厚なのですが、



「埋まらないこの温度差、まるで目を開けたまま寝てる人」

いきなり会社の重役になろうと努力する人とか、いきなり舞妓になろうとする人とか、
ふつういないんで、そんなの夢の中の話しなんですが、
仮にそういう人がいたとしたら、現実の中で生きているというよりかは夢の中で生きている人 と言った方がいいわけでして、

あまちゃん』でも、夏ばっぱとアキは目を開けたまま寝てる人でしたが、
アキに関しては、夢の中で生きる人という意味の比喩的表現だったのでしょう。
夏ばっぱに関しては、あの世とこの世ともつかない世界に生きている人という意味だったのでしょう。

『お・ま・えローテンションガール』ですが、阿部サダヲ、紅白に出場したこともあるだけに、歌も達者なもんです。
ほんとスーパーマン的な活躍でした。


あと、

生瀬勝久堤真一、意外なことに結構顔似ています。

また、
小出早織は舞妓はんメイクが似合うのですが、

柴咲コウがやると、パンダにしか見えません。

舞妓には向いている人とそうでない人がいるのでしょうが、
阿部サダヲが何かを求めてひたすら変わり続けるように、ヒロインの方も、別に舞妓になることが目的ではなくて、何かを求めて変身したわけでして、

この、似合わなさ、パンダそっくり感は、そういう意味でとらえると腑に落ちるものがあります。

てっきり、柴咲コウの舞妓修行の物語かと誤解して映画を見てしまったのですが、実のところはそういう映画ではなかったのですね。