一度気づいてしまうと、『ピンポン』と『あまちゃん』とことん似ているのがよくわかります。
『ピンポン』松本大洋原作 宮藤官九郎脚本により映画化されました。
「またひとり、飛べない鳥が逃げてった」の台詞から
『ピンポン』の「飛べねえ鳥もいるってこった」の台詞を思い浮かべて気づいた方もいらっしゃるようですが、
わたしは、どこで気づいたかというと、
能年玲奈よりも、こちらの方が母子に見えるんですね。
なんでそういうことになるかというと、二人ともアイドルになる夢が破れた役で、夢の廃墟といっていいかもしれません。どちらの役も暗い部分持ってるんですから。
そんな母親の果たせなかった夢を叶えアイドルになるのが能年玲奈であり、夢叶わず壊れてしまった親友に別の形の夢を吹き込むのも能年玲奈の役割です。
それって、復興する者と復興を手伝うものの関係であり、
その線に沿って、地震の話に絡めてくるんだろう、と中途で予想がついたのですが、
このドラマの復興する者とそれを手伝う者の関係って、片側的依存関係ではなく、相互依存関係なんですね。
誰かを助けることによって、自分が助かる、そういうことって確かに世の中ありますし…
て、考えると、これ松本大洋の物語の黄金パターンです。
バカで無邪気なキャラと知的で虚無的なキャラの相互依存関係。
海に向かって吠える窪塚。
「私の求めるものは、最高のテーブルテニスプレイヤーになること」
ひどくそっけないポルトガル語の翻訳です。
それに対するARATA「個人的にかっこ悪いペコ嫌いなんだ」
トンネルに向かって叫ぶ橋本愛。
「アイドルになりた~い!」
それに対する能年玲奈「かっけ〜」
『ピンポン』の台詞は、松本大洋の原作にあるもので宮藤官九郎が考えたわけではないんですが、
ほとんど同じ台詞、そして同じようなシーンが『あまちゃん』にも取り入れられています。
映画と朝の連ドラの構造的な違いとは、
映画は、一時間45分の間集中してみるものと想定されていますが
それと比べて、朝の連ドラは、一回当たり15分。細かい伏線や画面の流れなど、翌日見たときにはあらかた忘れている可能性があります。
しかも毎日見ることのできない人もいます。
それに、見てる間もあさごはん食べたり、隣の人としゃべったりで、ぽつぽつ見落としされることも想定内でしょう。
だから、後々までの大切な伏線になるようなシーンは、何度も何度も繰り返し繰り返し、画面に登場します。
このトンネルに向かって叫ぶ橋本愛のシーンはそのうちの一つ。
橋本愛のキレ芸、絶叫芸は、『アバター』の時にすでにやってますしね。
彼女、適材適所だったんでしょう。
それから
劇中何度も能年玲奈が海に飛び込みますが、『ピンポン』的にいうと、
水の中に飛び込むことで生まれ変わる。
ちなみに『ピンポン』では、「YOU CAN FLY」
『あまちゃん』では、「自転車で空が飛べると思ったか?」
能年玲奈に求められていたものって、このころの窪塚の天真爛漫な感じを女の子に移し替えたようなものだったんですかね?
そして何よりも、これだっ、というのは、
卓球の試合に敗れ、高校中退したアクマ。
ヤンキー化してる。
橋本愛みたいな美少女になんちゅうえぐいことやらせるんだ、と思いはしましたけど、こういうことだったんですね。
『ピンポン』では、ペコの方も部活やめてタバコ吸ったり髪伸ばしたりしてました。
そして、再び卓球始める際に最初にやったことは、髪の毛を切ること。
ついでにもう一つ、
中村獅童演じるドラゴンが試合前に必ずトイレにこもるんですが、
映画の中では、なんでトイレにこもるのか説明がなくわかりにくかったです。
『あまちゃん』では、ユイちゃんは東京からスカウトが来るたびにプレッシャーからトイレに逃げ込みます。ものすごくわかりやすい理屈付けがなされていました。
宮藤官九郎、どうして映画のために脚色したとはいえ、他人の作品『ピンポン』からこんなにも多く引用しているのか?その理由はわかりませんけども、
テーマが復興、再生に対して似つかわしかったんですかね?
ほんとに『ピンポン』気に入ってるんでしょうか?
それとも自分のオリジナル作品から引用繰り返すよりも罪悪感薄かったからでしょうか?
それとも、震災復興というテーマを個人的な範囲でまとめることが嫌だったんでしょうか?
ドラマは終盤になって、一般人がいっぱい画面に出てくるようになりましたし、
他者とのつながりにこだわったら、リスペクトする作品をそのまま使っちゃえってことになったのかもしれません。
鉄コン筋クリート (1) (Big spirits comics special)
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