『未来少年コナン』  ギガントのデザインについて



未来少年コナン』の中の ギガントですが、トトロのデザインとほとんど同じです。


わたしたちは、『風立ちぬ』を見るまでは、以前の宮崎駿作品のテーマをあまり深く考えることはなかったのではないでしょうか?

自然と科学文明の二元論的対立 その程度のことしか考えてこなかったように思われます。


むろん、『未来少年コナン』のテーマなんて、インダストリアの科学文明とハイハーバーの農業社会の二択問題のように見えてしまうのですが、


よくよく考えてみますと、『未来少年コナン』はそれ以降の宮崎駿作品の特徴が数多く出ているにもかかわらず、一つの点において大きく異なります。

ほとんどの彼の作品が空を飛ぶことを肯定しています、それは『未来少年コナン』と同様に科学文明批判をしているように見える『ナウシカ』でも『ラピュタ』でさえも、空を飛ぶこと自体を拒否したりはしません。

未来少年コナンでは、最終話までに空を飛ぶ機械はすべて破壊され、そして科学者はみんな死んでしまいましたから、おそらくあの社会は空を飛ぶ機械を今後手に入れることはないのでしょう。

もう誰も空を飛べない世界、それがハッピーエンドとして本当に良かったのか、すくなくとも宮崎駿的には本当にあれでよかったのだろうか?などと考えてしまうのですが、
もちろん、子供向けの連続テレビアニメですから、テーマについてはかなり整理して分かりやすいものにしたのでしょう。

しかし、それでも、ギガントのデザインがトトロと同じということを思うにつけ、本当は、『未来少年コナン』にはもう一捻り用意されていたのではないだろうか? それとも、宮崎駿無意識的な空を飛ぶことへの肯定心が、このような形で露出したのだろうか?等と思わざるを得ません。

風立ちぬ』のような 夢に生きることの怖さについての映画を見た後には、『トトロ』についても別の見方ができるような気がしてきます。空を飛ぶから、人に親切だからって言ったところで、トトロってお化けですし、あのでっかい口で日頃何食ってるんだ?と考えると、おそらく草食動物ではあるまい、と考えられます。
ひたすら無邪気に見える『トトロ』ですが、空を飛ぶことの諸刃の刃的意味はここにもあるのではないかと思ったりもします。



ギガントは 最後の墜落のシーンだけを除き、 とポジティブな方向を向いています。
そのわけは、ギガントが圧倒的な戦力であり、そこで戦うことはコナンたちにとっては逆境であるから、という意味合いはあるでしょうけれども、

「人類が空を飛びたいと願うことは止み難い本能であり、それを否定して人は生きていくことはできない」という『風立ちぬ』で露呈されたメッセージが隠されているのかもしれない、

2013年現在になると、『未来少年コナン』をそのような視点で見返すことも可能なようです。