小説『透明人間』 と 映画『インビジブル』

透明人間はフリチンなんですが、
どうやらこのことが気になる人がこの世の中に相当いらっしゃるようです。

二つのキーワードで検索すると、いくつもブログが出てきますし、

それ以外に AV 透明人間 のキーワードで検索すると、やはり、その手の映像作品がいくつも引っかかります。


透明人間はフリチンだったことが気になってしょうがない人は私以外にもたくさんいらっしゃることはいいとして、

フリチン…

透明人間は作中で体が見えないことをいいことにフリチンで大暴れしますけれども、

私個人的体験から言うと、フリチンで全力疾走ってできるのだろうか?という疑問があります。

フリチンというくらいですから、チンポ振り回しながらあちらこちら行き来する状態のことを示しているのでしょうが、
わたし個人的体験から言うと、全力疾走なんかしてしまうと、チンポが振れて振れて致し方ない。
千切れるか、これでもか、というくらいにフリチンしてしまうもんでして、
あれじゃ、走ることもままなりません。

尤も、古代ギリシャオリンピックでは競技者は裸体にオリーブオイル塗った姿であったとのことですから、
世界記録樹立するにしてもフリチンで問題ない、はずなんですが、
どうも、私には、それができる気がしない。


まあ、それはいいんですけれども、
小説にしろ、映画にしろ、主人公は全裸で大暴れするのですが、
それはもちろんチンポを一切防御しない状態での大立ち回りですから、
なんかのはずみでチンポを傷つけたりしないだろうか?と他人事ながら心配になってきます。

SFというジャンルを作った、といわれるほどの作家HGウェルズなんですが、

『透明人間』という作品、科学のもつ悪魔的部分を表現しているものとはいえ、
透明人間が、この世に対して与える害悪というのは、
基本的には、その人物の基礎体力に完全に左右されておりまして、
小説であれ映画であれ、透明人間になる男は筋骨隆々とした怪力の持ち主であるゆえに、そのような人物が透明化した時には、凶悪な殺人鬼となりおおせることが可能なのですが、

ひ弱なキモオタが透明人間化したところで、ほとんど社会的脅威にはならんだろうなという気がします。


透明人間、科学を扱っている作品のように見えて、
そのもたらされるところの災難は、とどのつまりは一個人の腕力にすぎんのか?なんと原始的な故事だ?と思わされますし、
更には、主人公フリチンであります。

よくよく考えると、HGウェルズの古典的名作群は、『宇宙戦争』にしろ『タイムマシーン』にしろ『ドクターモローの島』にしろ、
文明、科学の先祖返りを話のオチに持ってきたものでして、
そのような目つきで『透明人間』を読んでみると、人間はとどのつまりはエロで野蛮な生き物よ、ということなのでしょう。


当時は性に関する抑圧の強い時代でしたが、
そういう背景がなかったら、とことんAV作品のような暴走をなしていた可能性があると私は考えます。
『透明人間』は、その主人公がやたら短気で自己中心的で腕っ節の強い男でしたが、
もし、ひ弱なキモオタだったら、透明人間の能力を、覗き痴漢の方面に役立てることでしょう、きっと。