特撮について  誰もが子供だったはずなのに


これは、非常に世間的評価の高い絵画です。
これを眺めることで心の中に豊かさが喚起される人も大勢いると思いますが、
これ、現実と見間違う人って誰もいないですよね。一目で絵とわかりますよね。
現実ではない平面の絵画であることを分かっていながら、ある種の人たちは、この画面にのめり込み、夢中になっているわけです。


『緯度0大作戦』

この背景の空、普通の人なら絵だってわかりますよね。スタジオ内のセットの中で絵をバックに張り子の潜水艦の上で演技しているってのは分かると思います。

頭の悪い大人ってのは、小さい子供が、これを見たときに現実と見間違えていると誤解しているだろうと私は考えているのですが、
私が子供だったとき、いかなる年齢であろうとも、特撮映画やウルトラマンの類を現実と錯覚したことはありませんでした。
こりゃ、特撮だ、というのはほとんどの場面でわかっていましたし、こりゃありえねえってのもほとんどわかっていました。

馬鹿な大人にはわからない、もしくはバカは大人になると子供の時のことを忘れてしまうもんですが、
子供は、嘘は嘘だとわかった上で、特撮や怪獣を楽しんでいるもんなんです。

これは、ある種の人たちがダ・ヴィンチの絵画から受け取る感覚に近いと言えるでしょう。
現実でないことはわかっているのですが、非常に豊かな世界を提供してくれているということです。





こういうの見て、本物と見間違う子供っていないんですよ。嘘だとわかっていても楽しめるコツってのがあるもんですし、嘘だけど気持ちのいい見せ方ってのがあるもんなんです。


絵画の歴史でも、リアルであることが絵画の存在意義であると言い切ってしまいそうになった時期があったと思います。

非常にリアルな絵画なんですが、そんでも、これ絵だってわかりますよね、一目で。
現在も価値ある絵画とみなされており、似てるからとか、写真の代用品以上の何かがあると思われているのだろうと思います。

現代美術にはスーパーリアリズムなんていう、写真と見紛うばかりに細かく書き込んだ絵画のジャンルがありますが、
正直、くだらないでしょ。


CGを使うと、現物と見紛うようなものをスクリーンに映し出すことができるようになりましたが、でも、だからといって、それが見ていて気持ちがいいのかというと、
わりとどうでもいいんですよね。というか、そっくりに見える分だけ、アラがちょっとでも見えてしまうと、ものすごく気持ちがシケってしまう。




子供が、これ見て、本物だと思うようだったら、小学一年生でも留年考えないといけないですよ。
そして、基本的にそんな子供はいないんですね。


リアルに感じるというのと、本物と見紛うというのは、微妙にずれたものだと私は考えます。
このヘドラの画面ですが、でかいものを見ているならば、視線は対象の表面移動するのに時間がかかるはずですから、カメラはゆっくりとヘドラの表面を移動しなくてはなりません。
そういう小細工をされると、見ている側は巨大感を感じて、見ていて気持ちがいいんですね。

こういう視線の操作は、でかいスクリーンで見るほどはっきりと感じることができます。

ちなみに私、80インチのスクリーンとプロジェクターを所持しておりまして、これで見るとゴジラシリーズって気持ちいいですよ。

ほんと、巨大さがカメラによって表現されています。
ゴジラヘドラ』は割とチープな作品ですが、怪獣の巨大感はかなり上手に表現されています。

見ててでかさを感じるというのと、本物と見紛うというのは、全然別のことだったりします。


実物と見間違うはずはないのだけれど、妙な実感がある、奇妙なリアルさがあるってのは、よくあることです。

この辺を取り違えたしょうもないCGの作品というのが昨今多過ぎるのが、映画の衰退につながっているのだろう、私はそう考えています。