『あの頃ペニーレインと』 成功まぢか

私は、『コクリコ坂から』の題名について、
コクリコ坂から見える海」とか「コクリコ坂からこんにちは」ていどの意味だったら、省略せずに全部言い切ったほうがいいよな、中途半端だぜい、と思います。

そんなレベルの題名のお話ですから、好きあった男女がもしかすると兄妹かもしれないと思いこみ、仲良くなれないと諦めていたら、実のところは他人だった、というあほらしいストーリーしか語れないのでしょう。


では、『あの頃ペニーレインと』はどうなんでしょう。
これも中途半端な題名ですが、原題の「almost famous」とは違い、日本人がとってつけた邦題です。

あの頃ペニーレインと一緒だった。おそらくそんな意味でしょう。
そして、たぶん、そのあとにも続くのでしょう、
「あの頃ペニーレインと一緒で、…で、…して、…だった」
…で省略した部分は、余りにもプライベートなことなので語りたくない、語るには辛すぎる。

私には、そんなふうに思われます。『コクリコ坂から』と比べると、中途半端な題名をつけることにちゃんとした理由があるように思われますが、全国の皆様如何思われますでしょうか?


Almost Famous - Trailer - YouTube



『あの頃ペニーレインと』ですが、
最初にこの映画を観た時に感じたことは、もう戻ってこない日々を描いた作品で、その背景にロックが使われているんですが、気がついたらロックって完全に衰退してしまって、流行でもなく若者の音楽でもなく、ただのノスタルジーと親和性の高いモノに成り下がっていたことに少々衝撃を受けました。

流行り音楽は進歩しないとしても、常に再生産され、それぞれの世代がそれぞれの音楽を自分たちの青春のBGMとして持っている、そんなふうに考えていた時代が私にもありました。

でも、そんなことなかったんですね。
ポップミュージックの進歩なんてとっくの昔に止まっている上に、今の子供よりも親の世代の方が数が多いので、商売上おっさんおばさんにおもねったマーケティングのほうが強いんですから、もう新しい音楽なんか生まれてきません。

もともと音楽ってそういうもんで、100年前とおんなじ音楽で隣村の娘とフォークダンス踊るためのBGMで十分だったんです。
なにも一週間でヒットチャートをくるくると回して、流行り廃れがどうのこうのというようなもんではなかったし、そうある必要もないわけで、
かつての状況が異常だっただけなのでしょう。

そういう想いを重ねつつ、この映画は実にノスタルジックな物語だなと 『あの頃ペニーレインと』は感じさせてくれます。



以下の内容を読まれるのでしたら、こちらbaphoo.hatenablog.com
と、こちらbaphoo.hatenablog.com
をどうぞ。当ブログの理論についてまとめてあります。

基本的に 彼らを載せたツアーバスは の方向に進みます。

ロードムービーかくあるべし、という具合に、物語の目的が有る方向に車が動いていくのですが、

主人公がローリングストーン誌と電話連絡するときも、の方向を見ています。


まあ、この物語のテーマは何を材料にして描かれているかというと、男の子を取り巻く新しい人間関係、それプラス自立した大人になるために必要な仕事です。

こんな風に、少年は大人への道筋をたどっていく、ということなんでしょう。

こんな言い方すると、陳腐なものですが、
でも、人生なんて、個別の差異取っ払って抽象化したら陳腐なものでしょ?


しかしうらやましい話です。ロックがまだ輝いていた時代にそのど真ん中にいられるという設定もうらやましいですが、
職業の選択は、年齢が若ければ若いほど有利に働くのですね。どうして、こういう大事なこと中学二年生の時に教師はちゃんと教えてくれなかったんでしょう?




ペニーレインとの最初の出会いのシーンでは、彼女がの方向から歩いてきます。



これは少年が仕事するときに向くべき方向、そしてツアーバスが彼らを連れていく目的地への方向と同じであり、
男の子の大人への旅立ちを後押ししてくれるの、バンドのサクセスを後押ししてくれるのは、ペニーレインだという暗示めいた表現です。

この女の子のキャラ、何と言うべきなんでしょうか、「不思議ちゃん」というには、余りにも精神的に健全というか、自由で漂っていてとらえどころのない、近代小説の中に似たような女の子の系譜を作ろうとするとできてしまいそうなキャラで、延々と野郎どもがこういう女の子に自分の理想像を投影し続けてきたような女の子なのですが、

まあ、『ティファニーで朝食を』のキャラと似てますわね。
あと『恋する惑星』のフェイ・ウォンとも似ています。



そんな女の子、普通の男の子の周りにはなかなかいませんから、
彼を大人への旅に引き込んだあとは、彼女は基本的にアウェーのポジショニングです。
基本的に常識と相容れない異常人ですから、

洋画の画面構図的にいうと、異常人は 向かって右側が定位置です。