5 ネガティブポジションの主人公

以下の内容を読まれるのでしたら、こちら(映画の抱えるお約束事)とこちら(映画の抱えるお約束事2 日本ガラパゴス映画)をどうぞ。当ブログの理論についてまとめてあります。





映画の画面は、動く方向が恣意的に決められています。

目的地へ向かう移動は外国映画では −−>ですが、迷走する時は <−−方向です。

そして、その法則と抱き合わせるように、ポジティブな言動は−−>の移動や動きと関連付けられ、



ネガティブな言動は<−−の移動や動きと関連付けられます。

そうやって映画の中の虚構の世界は説得力を持っているのですが、

通常物語りの進行方向を向いている人物は、その物語を進める原動力となり、また観客は物語の進行を見守っていますから、自然と−−>向きの人物に共感する事になります。

普通その共感の対象は、主人公と言う事になります。






また、ヒトには利き手があるように、人の目には利き目があり、普通は右目が利き目にあたります。利き目の方が眼力が強いので、焦点は必然的に向かって左側にかたよる事となり、そこから画面の中心に視線を動かそうとすると、人間の目には画面上の−−>の動きが自然であり、それに逆らう<−−の動きは少々ストレスフルだったりもします。

また英語は−−>の方向に書きますから、画面の中に文字が出てきたり、またはタイトルが出てきますから、それを読むのと同じ−−>方向の動きは、やはり目にストレスが無いスムーズな動きなのですね。

そのような必然から、外国映画では画面が−−>と動きます。
自分ごとですが、外国映画を見たときには、画面の進行方向を間違えた事はありません。やはり、−−>の画面進行は人間の目には自然なようです。

それに対して日本映画ですが、テレビ放映を機に、おそらく公開番組が伝統的な舞台劇の上座下座に固執した事からでしょう、進行方向が<−−の番組が主流となり、それはやがて映画の進行方向も変えてしまいました。
50年代後半から映画の方向が変化してゆき、70年ごろには一部例外を除いて、現在の方向に切り替わりました。


「用心棒」1961年。<−−の方向に向かうトシロー三船。

日本の場合、文字は縦書きですから、画面にも文字が入っても、<−−の進行方向との間に齟齬は生じません。しかし、人間の利き目のことを考えると、日本映画の<−−の進行方向はやはり不自然なのでしょう。自分は、時どき日本映画の進行方向を思い違いする事があります。
それ故、画面進行の条件付けを映画の序盤でそうとう強くやらないといけないのでしょうし、また、海外の映画祭で日本映画が賞を取れないと言うのも、外人が日本映画の進行方向を読み違えている辺りに問題があるのではないでしょうか。


外国映画の場合ですが、

本来、主人公というか、観客が共感すべき人物は赤側にいることになります。


フィラデルフィア市庁舎の階段を駆け上がるロッキーは −−>向きに走る。


ロッキーがチャンピオンから初めてのダウンを奪うシーンも−−>向き。


しかし、時には<−−を向いて、逆の位置取りをしている事もあります。

登場人物が、物語の進行の中で立ち位置を変えることは当然のように思われますが、実は、そんなに簡単に立ち位置を変えることはしていません、
ポジショニングチェンジは、登場人物の心理や状況の変化を表しているように感じられてしまうからでしょう。

では、どのような時に、主人公もしくは観客の感情移入の対象の位置が逆になるかというと、
一言で言うと、
本来の居場所ではないところに主人公がいるときです。


具体的には、逆境 であり、もしくは間違った事をやっているときであります。それをやっていては、物語が求めている目的を叶える事が出来ないのですから、主人公の立ち位置は逆向きになります。


逆にダウンを奪われる場面。ロッキーは<−−のサイドに倒れる。

または、暫定的な居場所にいる場合も<−−向きであります。暫定的な居場所では、その先に進んでも目的を叶える事は出来ないのですから、あまり長居は出来ないということをポジションが示しているわけです。
具体的には他人のテリトリーに踏み込んだ場合とかですが、上司の部屋を訪ねる場合や外国入国などでの主人公の逆ポジションは、ほとんどお約束事化しています。


第三の男」ウィーンを訪れるジョセフコットン。


「ドラキュラ」 ドラキュラ伯爵の城の敷居をまたぐキアヌリーブス。


007ことジェームス・ボンドは、目的に向かってドンドコ行動しているから、いつも−−>向きに行動していると思ってしまいそうになりますが、意外にも<−−向きの場面が多いです。
よくよく考えると、スパイとして異国に赴いたり、敵のアジトに忍び込んだり、嘘ついたり変装したりするのが、彼の仕事ですから、そうならざるを得ないわけです。


ただし、異郷や悪のアジトにいるときでも、自由に振舞い目的に向かって果敢に行動できる状態になると、いつの間にか−−>向きになっているものです。