「おにいちゃんのハナビ」3

一人のファンである自分と、谷村美月の関係というのは、
自分的には、チェスとか将棋の相手みたいなものだと感じている。

彼女の手料理食べたいとか全く妄想できない。


やはり、彼女の演技を見るのが楽しいのだな。
彼女の演技とは、彼女が投げてくるボール、いや、将棋的に言うと、これドウや、って感じの一手なのですね。
見る側は、それをしっかり受け止めて解釈しなくては、と思うわけです。
大抵、彼女の演技って、よく出来てるんですね。一手一手が対局に於いてどう響いてくるのかが感じられる深いもんだったりするんですから。


一ファンの立場としてはともかく、メディアを通して不特定多数相手にコミュニケーション取る立場としては、谷村美月的なあり方は、正しい、と自分は思う。



谷村美月のインタヴューを読んでいて、母親の話が出ていた(母親の話はよくするが、反面父親の話はほとんどしない)。

彼女のお母さんは、谷村美月の演技と素の部分が完璧に見分けられるそうで、
こことあそこは、演技ではない素の部分でやっている、と見透かされてしまい、それが恥ずかしい、とのこと。


おにいちゃんのハナビ」は素でやってしまった部分が何箇所もあって、それが彼女的には、けっこうドキドキものだったりするそうだ。


自分としては、どの部分がどうでとかはよく分からないのだが、

上映開始から21分のところで、高良健吾を新潟まだ連れ出すところの演技が、「カナリア」の22分目の演技とほとんど同じな事を発見した。


「可愛い妹と二人で出歩くのいや?」
「ウん、嫌」
「じゃあ、他にも人いたらいいんでしょ」



「自分のことは、自分で決めたらいい」
「いうたな、あんた今言うたな。今言った事絶対忘れたらいかんで」

カナリア」の6年後でも、全く同じ演技をこの箇所ではやっている。

それも合い方と一緒に行動する事を、上手い具合に承服させる場面、画面の映りも向かって右半分、更には、時間的にも21分目と22分目とほとんど同じ。


ほとんど同じ状況だから、同じ演技を6年後に繰り返したのか、
それとも、この
相手の揚げ足を取って自分の言い分を通してしまう時の、強引で小憎らしい愛嬌みたいなものは、
谷村美月の素、もしくはそれに近い部分かもしれないな、と感じた。

もしくは、谷村美月のお母さんってこういう人なんだろうか?と、考えたりもした。


この箇所の演技は全く同じなんですが、それ以外の演技については、「カナリア」と「おにいちゃんのハナビ」はそんなに共通するものがない。
カナリア」の方は、ローティーンながらも自分の力だけを頼りに活きる強い女であるのと比べ、「おにいちゃんのハナビ」のほうは、自分の弱さと自分が周囲に支えられてやっと生きていることを十分に理解している女の子であり、その反面可愛らしく拗ねる技術なんかも持っている。
そういう役柄の違いから、同じような演技が重複する可能性は「カナリア」と「おにいちゃんのハナビ」には本来ほとんどないはずなのだが、上述の一箇所だけは、完全に同じ演技なのです。