「おにいちゃんのハナビ」

自分は、谷村美月の芸歴の中では、この「おにいちゃんのハナビ」が2番目に好きで、一番すきなのは、「カナリア」か「神様のパズル」か「生物彗星Woo」だったりする。

一番すきかも知れないのが、三つも有るのですが、それにもかかわらず、二番目は、この「おにいちゃんのハナビ」に決まりなのですよ。


ついこの間、DVDが発売されたので嬉々としてツタヤに赴いて借りましたが、
やっぱり、いいもんです、「おにいちゃんのハナビ」の谷村美月は。


アマゾンとか評価がやたらと高いのですが、しかし、だからといって、その高評価があまねく世間に知れ渡っているかというと、全然そんな事がないのです。
谷村美月本人の世間的立ち位置とほとんどおんなじで、知る人ぞ知る人気者、知る人ぞ知る傑作、そういうところです。


ネットで映画の感想をチェックしていて、いつも腹が立つのは、
アマゾンとかでの、ネタバレに対する妙な拒否感。
まあ、所詮アマゾンでの批評なぞ、商品の宣伝に寄与する為の物に過ぎないわけで、一個人の分際で嬉々としてアマゾンの宣伝活動に貢献して、おまんら何かうれしいんか?と自分は思う。

そして、いつも思うことなのだけれども、一体何のために書いているのか分らない、便所の落書き的な書き込み。
「自分は見て楽しかった。自分はこの人が好き」それって、見ず知らずの他人にとって、一体どういう意味が有るのよ?と自分はいつも考えてしまう。
他人にとっては、どうでもいいことをチョコチョコと書き付けて、それで何か意味が有るんだろうか?

自分の書き込みは、ほとんどの人にとって何の意味もないだろうけれど、時どき、共感してくれる人や何か感じてくれる人がいるから、書くわけで、もしくは自分で書いているうちに自分の中で考えが熟してくるから楽しいわけで、

そういうことと比べても、アマゾンなんかで字数制限のもと宣伝用の批評書いている方々ってのが、全く理解できない。

まあ、これだけ「おにいちゃんのハナビ」の評判が高いから、ネットにも興味深い批評が転がっているかと思えば、そういうのにぜんぜんぶち当たれない。

詰まんないから、自分で書いちゃおう、というのが私のブログの趣旨なんですが、


グーグルで延々と、「おにいちゃんのハナビ」で検索したのですが、
面白かったのが、製作関係者へのインタヴュー記事だけ。

ほんと、面白い批評や記事にはぶち当たれなかった。



谷村美月のインタビュー読んでいると、
いつもは変な役が多くて、そういう場合は、事前に役を自分の中で作っていくのだけれど、「おにいちゃんのハナビ」では役を作るよりも周囲との関係が重要だろうと、事前にあまり役作りをしなかったとのこと。

現場では父親役の大杉漣に対して、高良健吾谷村美月はほとんど話をしないとか、映画に近い設定を作る事で役作りの代わりにしていたそう。

そんなこんなもあって、出演者が、みんなちゃんと家族に見えるのですね。


まず、宮崎美子谷村美月がちゃんと親子に見える。
宮崎美子はワリにいつもどおりの宮崎美子なのだが、谷村美月がちゃんと、表情を宮崎美子風に作っている。

じゃあ、偉いのは谷村美月宮崎美子はダメだめなのかというと、そういうことではなく、
映画全編を通して見られる谷村美月の演じる明るい優しさというのは、実のところ、長い年月をかけて宮崎美子の中で作られてきたものといえるわけであり、谷村美月は、それを拝借しただけとも言える。

つまりのところ、
谷村美月の演じた愛情というのは、兄と妹のあいだのものであって、二人とも妙齢なのだから、下手すると恋人同士の恋愛に見えてしまいそうになるのだろうけれども、
そう見えないのは、基本形が母性愛的なものだからなのだろう、
母親役を演じこなしてきた宮崎美子からの拝借が功を奏したのだろうと、自分は、考えた。