映画の見方

最近は映画見ることほとんどなくなりました

『聲の形』

いろいろ考えさせられる映画でした。そしてすこぶる面白い素材を抱えた作品でした。

 

まず考えたこと、というか、ずっと今まで考えていたこと、

映画一本二時間って、物語を語る形式としてはそこまで絶対的なものなんだろうかということです。

単なる興行上の都合で決められた時間枠で、物語を一つ語るための枠としては短すぎないか?

もしくは、二時間弱にまとめられてしまうと、何日もかけて完読される小説や漫画では求められていなかった構成上の美を求められてしまう、さらには構成上のつじつま合わせにやたら厳しいものが求められるのも、二時間弱の短さゆえなのではないか。

 

『聲の形』って原作がマンガであり、全七巻。これを完全映画化するなら到底二時間で収まるはずもないわけで、削れるところを削って映画の尺に合わせてるんですが、

原作のマンガくらいの長さだと、話が多少ダレようが、場つなぎ的なキャラクターが出てこようが、そんなに気になりません。私たちはマンガってそういうもんだと思ってますし、さらに言うなら私たちの人生の日々ってのも、やっぱりダレたり場つなぎ的なキャラやエピソードに満ちていたり、整合性に難があったりするもんですから、むしろマンガのあんまり張りつめてない感じのほうがリアルに思えたりもするものです。

 

それと比べると、映画は平均1時間46分(この映画の場合は2時間10分)にまとめられてしまいますので、その短さの中では整合性の粗はいやがおうにも目立ちます。クラッシックのシンフォニーのような構成の美が優れた映画の必須の要素と考えられており、日常感覚にリアルなはずのだらだら感や心地よい退屈さに対する許容量は相当に限らる。

映画みてて、「原作ってこんなんだったっけ?」と何回か首傾げたりしてたんですが、特に最後の25分間の話の流れってのは、マンガだったら、マンガの時間尺だったら、全然OKなものだったはずなのが、映画としてまとめられると、2時間10分の物語の構成美という点から言ったら、失敗です。

見る人によっちゃ、「安っぽい感動ストーリー」って感想もあると思います。

 

「マンガだからアニメ化されるのは当たり前」って発想に見る者の立場としてはもっと疑問感じないといけないんじゃないか、

「製作費つぎ込んだアニメ化なら二時間枠の映画形式になるのが当たりまえ」って在り方も無理ないか?

と思うんですが、どうでしょう?

 

 

マンガと違って映画だと常に画面は横長なので、

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田舎道を自転車で行くシーンが繰り返し差し込まれてました。自転車が右に進むか左に進むかで物語の進展具合をサブリミナル的に表現してた。

 

映画が橋の場面を好むというのも、その細長さがスクリーンの形にそぐうものだから。

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人間関係の境界線の比喩として扱いやすい。

マンガの方ってこんな橋ばっかり出てきてたっけ?と思ったんですがどうでしたでしょう?

 

マンガが連載されていたのって『あまちゃん』の少し後ですから、そのせいもあるのでしょうか、水に飛び込むシーンがやたらと出てきます。

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まあ、『あまちゃん』というよりかは、その元ネタの一つの『ピンポン』なんだとは思いますが。

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最初の小学校の場面で、The Whoの『マイ・ジェネレーション』が流れます。

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とにかく音のでかいロックバンドで、そのせいでメンバーが難聴化したともいわれてますが、音のない世界に住むヒロインと対比させるための爆音なんですが、

 

The Who の曲で 『Drowned』が収録された『四重人格』をもとに『さらば青春の光』という映画が撮られました。


The Who - Drowned

クライマックスに水に飛び込むけど、死なない。

そういう映画の代表というか元ネタ?

 

これらの曲を書いたピート・タウンジェンドは子供のころから水面の音が好きで、水に周囲の音が溶け込んでハーモニーを形成しているさまにうっとりしていたそうです、

 

音の聞こえないヒロインにとって、世界はどんなだったかを示唆しているのが水のシーンと水につつまれたようBGMの数々。

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聲の形 TV Spot 30s ver1

 

水に飛び込むことが、生まれ変わるとか贖罪とかいう以上にヒロインと世界を共有するというのがこの映画の特色で、

最後の橋の上での告白の場面で夜の色が水の中のようだというのも、そういうこと。

 

 

細かい部分はよくできてる、でも大本外したらアウトだろ、 なんかここ二十年の日本の凋落にも共通する欠点を感じました。