この映画にたくさんT‐REXの曲が使われています。
そのリーダーだったマーク・ボランは、最近死去したデヴィッド・ボウイとはグラムロックの二大巨頭であり、下積み時代からの親しい間柄でした。
こちらは、マーク・ボランが死ぬ直前に収録された歌番組。
Marc Bolan and David Bowie Marc Show 1977
マーク・ボランは二人目の奥さんとは入籍しておらず、彼の死後その奥さんと子供には彼の印税が届くことはありませんでした。
その二人の生活費をデヴィッド・ボウイが基金を作って面倒見ていたそうです。
デヴィッド・ボウイにはこの手の美談がほんとに多い。
グラムロックというと、きれいなカッコしてロンドンの街を練り歩くような人が聞く音楽のように思ってしまいますけど、
炭鉱夫のような肉体労働の代表のような職についてる人も聞いていい音楽らしいです。
T-REXに関していうなら、シンプルなブギでのりいいですし。
映画の開頭
この映画、T-REXと心中するのか?とでもいうべき気合の入ったカットです。
わたし、T-REX大好きなんですけど、
なんの心の準備もなしに、こんな映画に出くわすと、
数秒間息が止まります。
ここで使われる『コズミック・ダンサー』はA面の二曲目ですから、ピタッと曲の頭に針落とすのはたやすくはありません。
針を落とす位置をミスって、もう一回針を落としなおす。
この映画、やることが細かいです。
T‐REXのファンですと、この時点でもう映画に完全に引き込まれてしまいます。
そして、イギリスはT-REXの人気って根強いんですよね。
ちなみに、このアルバム『電気の武者』のリリースは1971年。
T.Rex - Electric Warrior 1971 (Full Album)
映画の舞台設定は1984年。
この設定の中でもT-REXは完全に懐メロのはずなのですが、
T-REXのレコードは、主人公エリオットよりもずっと年上のお兄ちゃんの持ち物です。
この二人、何歳年が離れているのかわかりませんけど、
たぶん、
お兄ちゃんがエリオットくらいの年齢の時、T-REXに夢中になったんだろうなという気がします。
そうすると年齢差12歳くらい。
エリオットが11歳の設定ですから、お兄ちゃんは23歳くらいの設定でしょうか?
ネットでこの映画についてのレビュー漁ってみたんですが、
「グラムロックやパンクロックにあこがれる少年はバレリーナなんかになろうとはしない」というのがあったんですが、
ロック好きなのはお兄ちゃんのほうで、エリオットのほうじゃないんですよね。
『チルドレン・オブ・ザ・レボルーション』が挿入される個所。
わからず屋のおやじをののしり、先生の家に行って、そこの娘の部屋でちょっと怪しい雰囲気に、
で、
挿入歌ってさ、何表現してると思います?
私たちって、日ごろ、街歩きながら音楽聞いたり、鼻歌歌ったりして、
自分の目の前の光景に自分なりの意味づけをしようとする、
もしくは、その時の自分の気持ちを音楽に代弁させてみたいとするのですが、
このシーンの場合、T-REXって誰の何を表してるんでしょう?
T.Rex 'Children Of The Revolution'
まず第一に、このシーンのエリオットの心の耳には『チルドレン・オブ・ザ・レボルーション』の曲は聞こえているんでしょうか?ないんでしょうか?
エリオットの心の中で『チルドレン・オブ・ザ・レボルーション』が鳴り響いていないとしたら、
単に、観客にエリオットの心情か状況を説明するに都合のいい曲として『チルドレン・オブ・ザ・レボルーション』が選ばれただけなのでしょうか?
私には、この映画の中でのT-REXはすべて、かつてのお兄ちゃんの心情を代弁しているような気がします。
だって、T-REXのレコードはお兄ちゃんの持ち物なのですから、エリオットがT-REXを聞きながら感じたことは、おそらくお兄ちゃんもかつて感じたのではないでしょうか?
未来のない職業を選択し、お先真っ暗のお兄ちゃんですが、
エリオットと同じくらいの年齢の時は、おやじ罵ったり、女の子の部屋でドキドキしたり、同じようなことを体験してたはずです。
T-REXは夢見がちで詩的でノリのいい明るい曲ですが、
『ロンドン・コーリング』となると、当時のイギリス病を取り扱った歌詞です。
The Clash - London Calling (Official Video)
『ロンドン・コーリング』は1979年の曲で、映画の時代設定・状況設定により近い曲です。
お兄ちゃんがひたすら警官から逃げまくるシーンに使われています。
T-REXがエリオットとそこに多重露出されるお兄ちゃんの少年時代を表しているとするなら、
クラッシュの方は、お兄ちゃんのひたすらお先真っ暗な現状を表しているようです。
ジャムの『タウン・コールド・マリース』ですと1982年の曲。映画の時代設定との時差がもうほとんどありません。
The Jam Live - Town Called Malice (HD)
「俺が豚箱に入れられてたのに、お前はバレーのオーディションかよ?」
「テーブルの上で踊って見せろ」
エリオットはテーブルの上でこそ踊りはしませんでしたが、家を飛び出してこの曲に合わせてひたすら体を動かし続けます。
ちなみに、ジャムはモッズ・リバイバルの立役者ですが、
となりのゲイの友達がモッズパーカー着ているところは芸が細かい。
その様子を、窓から見るお兄ちゃん。
弟は自分とは違うのかもしれない、と感じ始める。
ジャムの『タウン・コールド・マリース』って、たぶん、お兄ちゃんのレコードコレクションの中にあるんじゃなくて、エリオットの世代に属する新しいヒット曲です。
この映画って、エリオットがトントン拍子にダンサーとしての才能を開花させていきます。
家庭の事情の問題はあっても、彼が自分の才能に悩むシーンってほぼありません。
あまりにもスポ根濃度が低すぎないか?と不満に思われた人もいるでしょうし、バレーなめていると思われた人もいるでしょう。
でも、この映画って、夢をかなえる人についてというよりも、
「夢をかなえることのできなかった人にとって、夢って何なのだろう?」ということを描きたかったようです。
バス停での別れのあと、その後のエリオットのバレー学校での日々は一切出てきません。
それに対して、ストが終わりお兄ちゃんの炭鉱夫としての日常が再び始まった様子が映されます。
エリオットは光の当たる場所に行ったのに、お兄ちゃんは光の射さない地下に潜るのですね。
また、バレーの先生が誰もいなくなった練習場を空虚にたたずむカットも挿入されます。
エリオットがバレー学校の面接で語ったこと、「電気のように、」
むろん、これ映画の冒頭のアルバム「Electric Warrior(電気の武者)」から来てます。
面接の最後で、踊ることの自分にとっての意味を語って一番気難しそうな面接官を陥落させるシーンですが、
そこで語ったことってT-REXの歌詞をつぎはぎした様な内容じゃないですか。
エリオットのお兄ちゃんだって、少年の時にはこんな風に何かに対して感じたはずですし、
T-REXのファンだったらみんな似たような感じ方の記憶があるのではないでしょうか?
あなたもT-REXのファンだったらよかったのに、と思う次第です。
それでは聞いてください、T-REXで『Ride A White Swan』