『Fury Road』  脚本の時間配分から考える

マッドマックスが見る人を夢中にさせてしまうのは何なんでしょう。

小説を論じる時みたいに言葉でうまく語ることができない。思うところはいろいろあっても、うまく言えなくてむずむず感だけが残る。

「イモータンジョーってすごくね?」とか「もし2の世界に自分が生きてたらせいぜいあのブーメランで指切った奴程度にしかなれないと思う」とか、訳のわからない妄言言い散らしつつだんだん深みにはまっていく、

そして、いちどはまるとこの深みからなかなか出てこられない。

 

そういう映画について語る際に、私がこのブログで使用しているメソッドって邪道でありながらもかなり有効なんですが、

baphoo.hatenablog.com

それでも『マッドマックス Fury Road』は難物です。

 

そこで別のアプローチ、脚本の時間配分の観点か考えてみますと、

 

私一度 シドフィールドの脚本術についてちょちょっと書いたことがあります。

http://blog.hatena.ne.jp/baphoo/baphoo.hatenablog.com/edit?entry=12921228815719346726

 

映画とは、

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このように構成される、とのこと。

(用語は、わたし流になおしてあります)

 

まず、映画の時間を四つに分ける。

最初の四分の一が 一幕目

次の四分の一の二倍が 二幕目

最後の四分の一が 三幕目

 

最初の四分の一では、人物と状況を説明する

次の二分の一では、主人公がどんな目的に向かって行動するのかが描かれ、その真ん中にターニングポイントが来て、主人公は態度を変える。

最後の四分の一は、スペクタクルを主眼とした物語の解決

 

これが映画の黄金律であり、映画に予算が多くかけられるほどに、興行失敗への恐れからこの黄金律に従う傾向が強くなるような気がします。

 

そして、この黄金律に従い『Fury Road』の2時間20秒をチェックしてみますと、

 

第一幕で登場人物とその世界を紹介するのですが、その終わりが来るべき30分目は、

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砂嵐にのまれるシーンになります。

 

第二幕開始は、

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砂に埋もれたマックスが起き上がるところから。

この時の時間がきっかりと30分めです。

 

一幕の時間配分に関してはまさに模範的です。

 

そして、二幕の終わりと三幕の始まりは、二時間の映画ですから1時間半のところに来るはずなのですが、

それが、ここ。

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いけるとこまでバイクで行こうとした女たちをマックスが引き留めて、元来た道を引返すように諭す場所。

 

そして、この後30分に及ぶクライマックスに突入します。

ここも時間配分はほぼ模範的でした。

 

では、映画のちょうど真ん中あたりにあるはずの分水嶺

つまり、主人公がこれから先はもう後戻りできない状況に至ったポイントは、どうなっているのでしょう?

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「止めて!トラックで引き返して」

「ダメだ」

 

映画の上映時間の真ん中に主人公が引き返せないポイントを過ぎるというセオリーに関しては、まさにその通りの台詞が用意されていました。

 

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あまりの逃避行のきつさに、一人がイモータンの元に帰ろうとしますが、

「私たちは物じゃない」の言葉は、さっきトラックから落ちて死んだ彼女が残した言葉。

女たちは物に戻る選択をこの時放棄します。

 

こう考えると、この物語の主人公は5人の女たちなのかもしれません。

 

真ん中の分水嶺に関しては、一幕二幕の終わりほど明確なものではないらしいので、もう少しこの周辺をいろいろ見てみますと、

 

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4分後にはこのシーン。

ニュークスがもうイモーテン・ジョーの元に帰ることはできないと嘆くのを女が慰めてくれる。

このシーンに着目すると、ニュークスが事実上の主人公なのかもしれません。物語の展開の在り方と彼の行動がほぼ一致しているように思われます。

 

それに続くカットが

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別の女が屋根のどくろの模様を指先でなぞるカット。

さっきのニュークスの唇に触れる指と同じ動きをするこのカットだけで、あんまり出番のない女キャラの内面のやさしさがとても巧みに表現されています。

 

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その隣で、弾を数える女。性行為を想起させるカットですが、悲しさと同時に女の強さやさしさを感じさせもします。

 

この映画の主人公は誰なのか?

恐らく、フリオサとマックスのはずなのですが、この二人の行動って一貫してブレがなく中盤の分水嶺と関係無いように見えます。目立つ強いキャラクターではありますけれども、物語りの起伏をそのままなぞるようなキャラクターとはちょっと違う。

 

ただし、『Fury Road』は実のところものすごく控えめなフリオサとマックスのラブストーリーだとするなら、

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この場面が二人の人間関係の分水嶺なのかもしれません。

 

「息を止めて」の台詞には、

ラヴストーリーなら、後にはむさぼるような接吻が続くべきなのでしょうが、

この映画は、こういう形でしか二人の愛情を表現しません。

ありきたりの愛情では癒すことのできない苦痛、そういうものについての物語と言えるかもしれません。

 

この後、マックスはガン・ファームのボスを倒し、大量の弾薬を手土産に戻ります。

これって『七人の侍』で宮口精二が野武士の鉄砲を奪いに行くシーンのオマージュで、

強奪に成功しても偉ぶることなくすやすや眠ってしまう彼を若侍の木村功が賞賛のこもったホモ臭い目で見つめるシーンが後に続くことを私は知っていますから、

 

七人の侍』より

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恐らく『Fury Road』でも、露骨に口には出しませんがそういう流れがあると私は勘ぐってしまうのですね。

 

 ガン・ファームのボスを倒した後、顔面血だらけで戻ってきたマックス。

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どうして、フリオサは確信をもって「それは、彼の血じゃない」と言えたのでしょう?

まるで、何度も体を重ねた末この男の体については何でも知ってるとでもいわんばかり。

 

 

 

 

『Fury Road』は、21世紀の『七人の侍』と呼ばれるべき作品かもしれません。

 

 

 

 

 

 

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