マッド・マックス  オマージュについて考える

『マッド・マックス』シリーズの監督ジョージ・ミラーは、黒澤明から映画の文法を学んだことを公言しています。

そして、私も一観客としていい歳になってくると、『マッド・マックス2』の物語が『用心棒』と『七人の侍』を下敷きにしていることがよく分かるのですが、

そういう大まかなことではなく、細かい点を突っついてもジョージ・ミラーの黒澤愛を見つけることができます。

 

『用心棒』の冒頭のシーン。

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二つのヤクザ集団に牛耳られた宿場町の異常さをワンカットで表現するべく選択された要素、人の手首とそれを咥える犬。

 

『マッド・マックス』

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マックスの奥さんの車に族の一人が鎖ひっかけたら、手首がもげてしまった。

B級ホラー的なショッキングなシーン。

 

そして、

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子供かえしてほしかったら、お前の手首差し出せとユーモラスに迫るシーン。

この世界の狂気の度合いを実に的確に表現していました。

 

 

『マッド・マックス2』 マックスが拾ったオルゴールを野生児に投げ与えるシーン。

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ハピバースデーツーユーのメロディ。

恐らく『生きる』からの引用だと思われます。

 

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この野生児、おそらく乳児期に母親及び家族皆殺しにされて、言葉を覚える機会を失ったという設定なのでしょう。

そんで、倫理観的にいうと、ブーメランで人殺してキャッキャ喜んでるような奴じゃないですか、ほとんどモヒカンと大差ありません。

そんな野生児が、信頼できる他者を見つけた、家族の代わりになる人を見つけた瞬間が、彼にとっての誕生日だったのでしょう。

 

 

リメイクされた『Fury Road』みますと、

「これ本当にマッドマックスのリメイクである必要あるの?別の物語で構わんのとちゃうか?」と思われた人も多いと思います。

わたしもそう思わないでもないのですが、

それは、マッドマックスの旧作と新作の関係が通常のオリジナル・リメイクの関係から外れているからなのでしょう。

 

リメイクでは、旧作をなぞっているのではなく、

旧作の断片をオマージュすることで深みとコクを出すのに利用している、

それはあたかも旧作シリーズで黒澤のオマージュやっていたのが、新作では旧作のオマージュやっているのに置き換わったかのごとくです。

 

『Fury Road』 砂嵐の中で気を失ったウォーボーイ。

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あっ、一作目の手首のシーンのリメイクだと思いきや、

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手首はちぎれておらず。

それを縦断で切り離そうとするも、不発弾でらちが明かない。

 

リメイク作であるからには細部をリメイクして昔からのファンをニヤリとさせるところを、

「なんかちがうぞ、どうも様子が違う」と訝らせます。

 

こちらのシーンでは、オルゴールが登場。

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何のメロディーかわかりません。

もはや黒澤の『生きる』のオマージュとしての意味は失われましたが、二作目のオルゴールシーンのオマージュとして人間の絆を祝福するという意味のようです、隣の女性がみんなの無事を祈願していますし。

最後の戦いに赴くトラックの中では、みんなの心が一つになっています。

 

 

旧作シリーズでは、マックスって悪玉に向かって「五分時間やるから自分の足首ノコギリで切って自力で逃げ出せ」とか言う人ですから、たしかにマッドかもしれませんが、

今作では、マックスがマッドである箇所って冒頭の箇所でトカゲの踊り食いするシーンだけで、それ以外の箇所ではマッドとはほど遠いまともな人物に見えます。

なにかに憑りつかれたように狂おしく行動するのはシャーリーズ・セロンの方。そしてトラックを運転するのもシャーリーズ・セロンの方。

んで、おっ、と思うわけです。

旧作でマックスは悪玉に足を撃たれてからというもの金具で足を補強していました。

今作ではヒロインが足ではなく義手という設定。

 

リメイク作とは言われますけれど、旧作のマックスのカルマを背負っているのはヒーローの方ではなくヒロインの方なのではないでしょうか?

この作品でマックス演じていたのはトム・ハーディではなく、シャーリーズ・セロンなのではないでしょうか?

 

そしてラスト間際にヒーローからヒロインへ輸血がなされ、そのタイミングで初めてヒーローが瀕死の状態のヒロインに自分の名前を告げます。

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最後の戦いに勝利し、世界にもう一度緑をよみがえらせるあふれる目途がついたとき、

「My name is Max」

つまり、お前がマックスではなく俺がマックスなんだ、

旧作の世界から引きずってきた狂気の因果からお前はもう解放されたんだ、

私にはそのように見えました。

 

この後、何本か続編が製作されるそうですが、おそらく、このように

旧作シリーズのヒャッハーな世界の狂気にとらわれた人たちをマックスが解脱に導いていくような物語りが続くのだろうな、と思われます。