マッド・マックス

『マッド・マックス2』開始早々からこの濃すぎるカット。

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モヒカンの愛人。

つまりモ~ホ~。

しかも鎖に首輪にボンテージ・ファッション。つまりホモSM。

 

 

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なんか嫌なもの見ちまったぜ的なメル・ギブソンの表情。

 

大人になると分かることですが、マッド・マックスって題名は、

マックスが狂ってるって意味よりかは、

狂気が最高限度(マックス)って意味っぽい。

 

まあ、いきなりホモSM臭漂わせてる映画ですから、そうなんでしょう。

 

そして、この映画、

鎖にやたらとこだわっています。

 

ちなみに前作のナイト・ライダー。

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鎖というか、手錠というか、

 

まあ、人って常に何かにつながれて生きてるわけです。

他の人との関係とか、

そうでなかったら夢や情熱につながれて生きてるわけで、

 

それなくしたのが、この続編のマックスの様子らしいんですね。

前作で子供と妻殺されたので、何にもこの世の中につながるもののなくなった人物になっているのですが、

その繋がれていないことを示すためにもなにかと誰かと繋がっている他の人の鎖を強調します。

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前作の冒頭はジャンキーカップルがラリった妄言言い散らすシーンだったんですが、

続編では、それがホモSMのカップルですよ、あなた。

やりすぎでしょ、これ。

 

この手のやりすぎ感旺盛な描写のおかげで、青臭いポエムというかうざたい説教臭さが完全にカモフラージュされているのが『マッド・マックス2』のえらいところ。

 

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モヒカンはヒューマンガスともホモSMの関係にあるらしい。

超コスギ。

 

 

ジャイロ・キャプテンに鎖を付けて引き回すマックス。

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 こんな風にして、この作品ではマックスは人間関係を築いていくのですが、

 

クライマックスのトラックのシーンで、

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モヒカンが使った武器の鎖が操縦室内に垂れ下がっています。

これが、少年とマックスの一生ものの絆のように見えてしまうのは私だけでしょうか?

 

そして、その少年をマックスから引きはがすかのように、自分の車に飛び乗れというリーダー。

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そういう罰当たりな男は、この直後ヒューマン・ガス様の怒りの槍に貫かれて命を落とします。

 

 

映画には、あらすじとして要約できるストーリーと並行してもう一つの物語がある訳です。

これって、音楽に於いてリズムとコードさえ共有すればそれぞれの楽器が別々のメロディー奏でていても一つの楽曲としてまとまるのと似ています。