私、
興行成績が保証されたような人気名作のリメイクとか、トリロジーの公開形式とかが嫌で、
そういう映画ことごとく映画館で見ていないのですが、
(というか、金もったいなくて映画館で映画見ないどケチなのですが)
今年公開された『マッド・マックス』のリメイクだけは、そういう次元を超えた映画かもしれないと思いました。
もしかすると、『スター・ウォーズ』新作もすごいのかもしれんと思い、ついつい、
ライト・セイバーのおもちゃをアマゾンでポチってしまいました。
スター・ウォーズ フォースの覚醒 エレクトロニックライトセーバー ルーク・スカイウォーカー
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これに、1000円程度の『着る毛布』を合わせれば、
耳まで隠せるフード付き Warmy 着る毛布 着丈170cm(ロング丈) 洗える マイクロファイバー毛布 男女兼用フリーサイズ ブラウン 16610001 BR
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オビワンのコスプレもどきの出来上がりです。
アマゾンで、着る毛布の隣に表示される人型寝袋。
しかしまあ、この手の貧乏防寒グッズですが、
ダメ人間養成道具というよりかは、
コスプレ予備軍の養成グッズという感じがします。
このヒト型寝袋の写真のポージングからして、そうですわね。
カミさんには赤色、息子には黄色、そして三人で戦隊ポーズで自撮り、
そんな使い道なのでしょう。
話が脱線してしまいました。
『マッド・マックス』っていい歳になってみると、いろいろと分かる箇所が多いのですが、
子供の時に見ると、『北斗の拳』の元ネタだ、程度の面白がり方しかできていませんでした。
でも、それでも十分に面白かったんですけどね。
で、リメイクの『FURY ROAD』見てみますと、
「ああ、なるほど、そういう映画だったんだ」と色々分かったりします。
旧作の『マッド・マックス』って映画には、何の教訓もポエムもないように見えるじゃないですか?
まあ、そこが爽快で、子供心にも響くものがあったんですが、
でも、よく見ると、
話しの流れ脚本の組み立てってめちゃくちゃ論理的で頭よさそう。
それに、異常なサービス精神。
やたら的確な画面構成。
すごいよくできた映画ということが分かります。
そして、教訓もポエムもちゃんと込められていたんですよね。
それに、メル・ギブソンの出世作ということで、ジョージ・ミラーは役者見る目も確かでした。
まあ、『マッド・マックス』と続編『マッド・マックス2』は歴史を作った映画、というか歴史そのものと言うべきでしょうか。
特に少年時代に『北斗の拳』毎週楽しみにしてたようなものにとってはそうなります。
『マッド・マックス』は、
ナイト・ライダーという族が覚せい剤か何かでラリって道路を高速でぶっ飛ばすシーンから始まります。
このナイト・ライダーがラリって妄言を言い散らすんですが、
「こういうの子供に見せていいのかな?」と、
いい歳になってこの映画見なおすと思いました。
まあ、それでも、『北斗の拳』に比べりゃ、全然健全かもしれません。
ライダーって、バイク乗りのことだと思っていた、というか今でもそう思うのですが、
このナイト・ライダーは、車を運転しています。
まあ、日ごろは単車運転していて、この時だけは盗んだ車で走りだしたのかもしれません。
んで、彼の妄言をよくチェックしてみますと、
これ、ほとんどブルース・スプリングスティーンの『明日なき暴走』の歌詞と同じです。
Bruce Springsteen - Born To Run
んで、こちらの歌詞をチェックしてみますと、
今まで、この詞の主人公は車運転してると私は勝手に思っていたんですが、
自分で自分のことを怖がりで一人ぼっちのライダーっていってますんで、もしかすると単車乗りなのかもしれません。
この麻薬でラリったナイト・ライダーの妄言って、実のところ、70年代ロックの歌詞のパッチワークのようなもの。
ついでに言いますと、後半に出てくる保安官の名前、Ziggyっていいます。
言うまでもなく、デヴィッド・ボウイの歌でしょう,この名前。
David Bowie – Ziggy Stardust, taken from ‘Ziggy Stardust The Motion Picture’
「ジギーがそういうんだから、信じてくれ、大丈夫だ」
なんか、歌の一節みたいな台詞ですし、
全般的に『マッド・マックス』の台詞ってそんな感じのものばかりです。
ナイト・ライダーの台詞が70年代のロックからの引用のパッチワークだとしたら、
ナイト・ライダーって実のところ、悪役とは違うのではなかろうか、
どちらかというと、『俺たちに明日はない』のボニーとクライド的な人物像なのではないか、と仮定してみました。
そして、私が子供の時には思いもしなかった仮定を裏付けるように、
ナイト・ライダーの死へと向かう明日なき暴走は、➡方向とポジティブです。
ちなみに、この矢印がどうのポジティブがどうのについては、こちらをどうぞ。当ブログの理屈についての解説です。
そして警官たちはみんな、彼を➡の方向に追っかけます。
ブルース・スプリングスティーンの歌詞「ハイウェイは最後のレースに賭けた打ちひしがれたヒーローたちで埋まる」を彷彿させます。
そして、ナイト・ライダーを追いかけることのできなくなった警官たちは、←方向にクラッシュしていきます。
そんな無敵のナイトライダーの前に立ちはだかるマックス
ナイト・ライダーがマックスを目視したあと、ナイトライダーの車は今までとは逆に←方向のカットになります。別に彼の車がUターンしたわけではなく、彼のその悲劇をサブリミナル的に暗示する方向転換です。
ナイトライダーの立場で観るなら、
そろそろ悲劇の結末が近づいた、というところ。
マックスとすれ違ったときに、ドライバーとしての格の違いを実感し、泣き顔になります。まあ、ラリっているから感情表現が大げさに歪んでいるんでしょうけれど。
「だってベイビー、俺は怖がりで一人ぼっちのライダーなんだから」
そして、マックスにハイウエイの星の地位を譲渡し玉座を降りるかのように、
炎の中で死に至りました。
そして私たちは、夜空を見るたびにナイトライダーのことを思い出す羽目になったのですが、
設定では警官殺しの凶悪犯なんですが、
こんな風に画面を解析していきますと、ナイトライダーっていい人なんじゃないか?と錯覚してしまいます。
どうやら、冒頭のシーンのナイトライダーにニューシネマ的な悲劇のアンチヒーロ―の姿が重なられているようです。
そして、この映画、善玉VS悪玉の単純な勧善懲悪の物語ではありません。
それは、マックスが「自分と族の違いは、バッチ持ってるか持っていないかの違いにすぎないんじゃないか?」と奥さんに悩みを打ち明けるシーンがあります。
じゃあ、マックスって悪玉と紙一重の存在なの?というと、
いや、逆なんではないか?
ナイトライダーとかトーカッターのなかに誰もが憧れる何かがあるのではないか?
だって、この悪役、二人ともやたらと可愛げに満ちてるでしょ?人好きのするタイプだよね。
そして、もしかすると、おそらく、この映画は、
命の危険も顧みずに何かに向かって走り出さずにはいられない者たちへの賛歌らしい、いや、いや、そんなすかしたもんではなく、
人間って、初めから死ぬことが決まっているんだから、いのち燃やして必死にどこかにたどり着こうとプログラムされた存在だ、という教訓というかポエムというか哲学がこの映画には込められていたような気がするのですね。
そして、この教訓だかポエムは、続編やそのリメイクと回を重ねるごとによりはっきりした口調で画面上で語られているようになってきています。
そして、そのことで新作が子供にとって高尚すぎたり、説教臭くなってうざくなっていたりということは、
別ないんですね。新作も、初作と同様にポエムも哲学も関係なく子供心に響く作品になっています。
そして、多分、子供たちは大人になって『Furry Road』を見直したら、
「ああ、そういうことだったんか~」と、納得してガッテンするんじゃないでしょうか。
「いつになるかはわからないけど、本当に行きたい場所にたどり着けるはず。そして太陽の中を歩こう、でもそれまでは、俺たちのようなゴロツキは走る為に生まれてきたんだよ」
子供の時はほんと分かんなかったのですが、『マッド・マックス』ってブルース・スプリングスティーンの詞をデフォルメした世界だったんですね。