『ヒューゴ』  映画挽歌


映画『ヒューゴの不思議な発明』予告編 - YouTube

 

このブログでも取り上げたことのある『月世界探検』のメリエスの晩年についての映画です。

SF映画創始者についてのものがたりですから、

「映画ってこんな風に世に生まれました。いやぁ~映画って数多くの人たちの愛に満ちた手で受け継がれてきたんですね」的な説教臭い教育的感動の押し売りに感じられた方も大勢いるとは思いますが、

 

私には、全く逆に、この映画は文化ジャンル産業ジャンルとしての映画の終わりが間際まで来ていることを知らせる「蛍の光」のメロディのようなものに感じられました。

 

『ヒューゴ』の中でも触れられていますが、映画ってもともとは芸術ではなく見世物だったそうで、

現在の2時間弱のストーリーで展開する映画とは異なるものでした。

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観客めがけて汽車が走ってくると、轢かれるまいと身を仰け反らす観客たち。

 

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カメラに向かって空砲発射。やっぱり驚く観客たち。

 

本来映画とはこの手の見世物だったのですが、おそらくもう一度この手の見世物に戻るのかもしれません。

 

この『ヒューゴ』自体、子供に対して映画の歴史を教える以外には別にこれといったストーリーもありません。

一応映画の体裁を保ってはいますが、現在技術の3Dの見世物であることの方が主眼らしく、

汽車にひかれそうになる主人公のシーン以外にも、

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 往年のサイレントのぶら下がりシーンの最新テクノロジーでの再現シーンもあります。

 

この映画本来3Dなのですが、わたくし劇場で見ていなくて、自宅で10年前の中古プロジェクターに格安の80インチスクリーンの2D環境、そして100均のイヤホンで視聴したのですが、

 

まあ大体どこが3Dになっているのかは見当が付きます。

そして別に映像音響ともにこれ以上高望みしておらず、十分これでヴァーチャルリアリティ感じられるのですが、

 

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こういう画面ですと、リアリティありますが、観客の視線誘導できていないわけです。

しかも3Dになるとなおさらそうで、観客の目は物語りを理解するために動くというよりも、勝手に自分の興味あるものを見始めるようになりません?

 

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駅の構内を上から映した画面。

100年前のパリの様子って一般観客の興味轢きます。それこそ一木一草に至るまで時代劇の大道具小道具なのですから、ありとあらゆるものに興味が行き視線が行くのですが、それらの▪対象が高解像度3Dでパンフォーカスされますと、

見る者の視線を強制する近代絵画ではなく、絵巻物とかの中世絵画のように見えてしまいます。

 

映像の技術がこの方向、つまりヴァーチャルリアリティの方向に進歩していくとしたら、

未来の娯楽映像ってどういうものになるのか?映画のような形式はまだ残るのか?ということですが、

 

私の希望としましては、世界の著名な建築物や観光スポットを完全に再現できる3D技術があれば、映画は別になくても構わないです。

映像を完全に3D映像にできるなら、もうドラえもんのどこでもドアってほとんど必要のない道具で、どこだろうと行きたいところの光景を完全に現出できれば、私たちの肉タは別に移動する必要もないわけで。

 

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『旅情』

石畳の感触、運河の水面、通行人の表情、それらの背景部分が本物と見間違うくらいにリアルに見えるようだと、

もう私たちは画面の主人公の動くままに画面を見つめることがアホらしくなって、勝手に自分の望む方向に動いて見たくなる、そうなりません?

 

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ストーリーから離れて、自分の興味を引くものをじっと見つめ、できるなら手に取れるほどの距離まで近づきたい、

観客がそんな風に思いながら見ているなら、もう映画ってなりたたないんではないでしょうか?

 

 ついでにいうと、

昨今の映画を考えるに、映画って1本2時間弱である必要ってないわけで、

小説の忠実な映像化を行うと上映時間が10時間くらいになる『ロード・オブ・ザ・リング』みたいな映画、3回くらいに分割されて順次公開される映画が娯楽大作の王道のようになってしまいました。

 

また一方、テレビドラマに大金が投じられ映画のスタッフが流入してクオリティが上がってくると、

「映画って2時間弱でまとめる必要ってどこにもなくて本来10時間くらいかけるべき」のように視聴者の考えが変わってきます。

 

もし映画が魅力的なキャラクターを作りだせたなら、観客の方もそんなキャラクターともっと一緒にいたいと感じるはずで、

たとえキャラの行動思考に一貫性が薄かろうとも、矛盾していようとも、長大なテレビドラマのようなキャラクターの扱い、たらたらと同じことばかりやって進歩しない人間像の方が自然ではないか?

2時間でキャラクターの本質を抉り出すようなやり方は急ぎすぎではないか?二時間でダメ人間が校正成長するって何か不自然ではないかという気がします。

 

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まだ未成年ながらクロエは数多くの映画に出ていますが、基本的には全部同じ芸風。

左の口の端にしわを寄せる表情はどの約演じてもいつも同じ。

でも、スター役者のこういう在り方って、むしろ見ていて心地よい。