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小説を読んでいて、その情景を逐一脳内映像化しようとすると、ものすごく疲れます。

恐らく脳内でのエネルギー消費が活発になり、それが原因でしょう。

PC上のデータ量で考えても、動画のデータ量は活字の1万倍はありそうですから、そんなものを脳内でやり通りしているとそりゃ疲れるだろう、ということですが、

 

所詮息抜きのための読書なのでしたら、そんなに頭が付かれたら困るわけで、仕事や学業に支障が出ます。ですから、「どうせこの程度のことが書かれているのだろう」と、読み飛ばすことも多いです。

自分の経験上、小説を読んでその20パーセント程度を脳内映像化しているだけなのではないか、そんな風に思うのですが、皆様はどうでしょうか?

さらに言うと、脳内映像化をいちいち動画で行うと脳内エネルギー消費量が多くなりすぎるので、静止画を多用してい省エネ運行しているのかも、と思ったりもします。

虫プロ以来の静止画を多用した電気紙芝居スタイルのアニメって、実は人間の脳内活動の在り方に実は忠実なのではないか?とも思ったりします。

 

ちなみにいうと、私は、日常に人の話を聞く場合においても、いちいち脳内映像化してその意味をとらえようなんてしていません。

「どうせこんなこと言いたいんだろう」とタカをくくって、何か大切なこと言っているらしいときだけ、真剣にそのイメージを脳内で描こうとするのですが、どうせほかの人たちも同じようなものでしょう?

 

「私の姉の旦那の妹はアメリカに住んでいます」

この文章、文法的にはものすごく簡単なのですが、実のところどんな人間関係の図があるのかを即座に理解できるような冴えた人はこの世の中にほとんどいません。

発言する側としては、自分の家族と親戚の話ですから、いやというほど脳内で図形化してきていますので、するりとこんなことが言えるのですけれども、

赤の他人にとっては、

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こういう家系図を2~3秒内に思い浮かべろ、というのは土台無理な話。

つまり、言葉がわかるとはどういうことを言うのだろう、文法的に理解できない箇所がないということを言葉がわかるというのだろうか?

そして語学の能力というのは、何が大切で何が大切でないかに目星を付ける能力であって、大切でなさそうなことを右耳から左耳へと聞き流す能力のことかもしれない、

そんな風に思う次第です。

 

小説を読む場合、私たちは映画と同様にストーリーに拘ります。ですからストーリーを直接動かす要因である、主人公の行動、主人公の台詞等に注意を払いますが、

情景描写となりますと、読まなくてもストーリー理解にあまり関わりません。

また、情景描写はどうしても脳内映像化が必要ですので、真剣に読んで理解しようとすると脳が大量のエネルギーを消費して疲れてしまいます。

だから、たいていの場合、私たちは、情景描写の箇所を読み飛ばすのですが、

 

しかし、言語を理解するということはそれを脳内で視覚イメージ化できること、と私なりの定義にしたがいますと、

英語の学習では、もっと積極的に小説の情景描写に関する箇所を読むようにすべきではないのか?などと思うようになりました。

学校の英語教育では、テスト対策として、小難しい社会問題を論じたものや心理学関連の小論文を読まされることが多く、

小説の情景描写を読むことが足りないのではないか?そう思います。

 

『トムは真夜中の庭で』より抜粋、

Of the four sides of the garden, Tom had already observed that three were walled : one by the back of the house itself, another by a very high south wall, built of clunch blocks and brick; and another by a lower wall that might well prove  climbable . A hedge, however, is almost always more easily passed than any wall ;...

つまりこういう文章を読んだときに、英語からいきなり脳内映像に変換できたなら、それは英語ができるということ、といっていいのかもしれません。

また、多少理解のあやふやなところがあったとしても、

「じゃあ、日本語で読んだとしたら、脳内での映像化はすんなりできるのか?」と言いますと、日本語でも実のところかなりあやふやなことを私たちはやっているわけですから、あまり気にする必要はないのかもしれません。

実際読んでみますと、日本語に訳すよりも、図形化する方がはるかに楽です。

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英語で小説を読むと、どうしても多くの情景描写か所に出くわしますので、必然的に英語を脳内映像化することを強いられるのですが、

その作業になれてしまいますと、「なんで英語を日本語に翻訳して、その日本語から脳内映像を作り出さないといけないのだろう?どう考えても日本語に訳す手間は無駄だろう」と思うようになります。

 

 『トムは真夜中の庭で』より

 He found the kitchen matches, and struck one, shielding both the sound of the striking and the flame— he had thought it wiser not to click on the electric light, lest even that might wake his uncle and aunt. He held the lighted match to the clock-face: the fingers pointed to only a few minutes past midnight.