トンデモ映画について思うこと

私たちの知識は限られています。

時間を隔てた時代、距離的を隔てた場所に関してはいい加減な知識しか持っていません。

にもかかわらず、物語に没入するには私たちの日常的実感にそぐう形で未知の事柄を捉えようとするので、

その過程で私たちは他者をゆがめてしまうのですね。

 

『黒船』


The Barbarian And The Geisha Trailer 1958 - YouTube

原題は、黒船ではなく『野蛮人と芸者』という凄まじいもの。

そして、これはペリーについての話ではなく、下田領事館に務めたハリス領事の話。

 

野蛮人というのは、日本人のことを言ったのではなく、当時の日本人から見たアメリカ人のことなのでしょう。

 

 

『八月十五夜の茶屋』


The Teahouse of the August Moon Trailer - YouTube

これもすごい映画です。沖縄人を日本語で演じるマーロン・ブランド

 

『東京ジョー』


Tokyo Joe - Trailer - YouTube

こちらはハンフリー・ボガード。戦後のどさくさの東京ですが、当時進駐軍として多くのアメリカ人が日本に住んでいました。もしかすると現在の私たちが思うところの当時の東京の姿よりも、この映画のほうが正確なのかもしれません。

 

トンデモ映画ですが、異国を舞台にしたものの場合、

現地の人たちがそれを見て、「トンデモ映画じゃん」と指摘すると、

トンデモ映画認定されてしまうのですが、

1000年も2000年も昔のことについてでしたら、相当なことをやらない限りトンデモ認定くらうことはありません。

 

たとえば、私たち、聖徳太子のころについては何も知らないじゃないですか?

冠位十二階なんて、「蘇我氏の横暴を抑えるために役人の帽子を官職に従い色分けした」なんて学校で教えられましたが、

聖徳太子が最初から自分の思うがままに役人の官職を決定できていたら、蘇我氏なんか相手にならないほどの権力持っているわけで、

帽子の色についての決まりを作ったから蘇我氏を抑えることができたのではなく、蘇我氏を抑えることができていたから帽子の色を自由にコントロールできたと考えるべきでしょう?

わたくし、小学生ながらに「教科書とか参考書の言いぐさって因果関係取り違えてるよね」と思っていたのですが、

大人になってから本読んだりすると、実は聖徳太子の存在自体ウソだったという、あぜんとするような説が定説化してました。

ついでに言うと、17条の憲法。何のための憲法だったのでしょう?法律の上位概念としての憲法だったのでしょうか?憲法違反に対して何らかの罰則が定められていたのでしょうか?

そういうことは、高校日本史にも出てこないので、

おそらく日本人の99%は、17条の憲法について真面目に考えたこともないのでしょうけれども、

違憲だけど合法」とかそういう出鱈目って、聖徳太子の時から続いている伝統なんでしょうか?

 

本当のことを言うと、聖徳太子についてなんて日本人の99%以上が何も知らないわけで、マーロン・ブランドとかハンフリー・ボガードが演じたところで、それをトンデモであるとは言えた資格は私たちにはないのですね。

 

カリギュラ


Caligula - OFFICIAL TRAILER - YouTube

 そうそうたる俳優陣が、ことごとくこの映画に出たことを後悔している、という点で珍作。

しかし、これ時代考証的にトンデモなのかどうなのかは、私には知る由もありません。