時差の問題  

 当ブログの読者の方が、教えてくれたブログ。

『ドラゴンボールの左と右と…』

ドラゴンボールイマジナリーラインのことでなるほどと思いました。

 

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視線誘導、とは申しますけれども、じつのところ、絵巻物を二段組み三段組みにしたのが、普通のマンガらしい。

 

だから横一列に並べると

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こうなると平安時代の絵巻物とほとんど同じだったことに気が付かされます。

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(絵巻物は全長数メートルになるのですが、当時の机も今の机とサイズがあまり変わりませんから、実際に読むときには今の少年ジャンプを見開きにするのと同じ程度の面積を机に広げることが普通でした。そして、こうやって机のサイズを超える長さまで広げると、同じ登場人物が数か所に出てくるもんです)

 

 

マンガも絵巻物も右から左へ読んでいくのですが、

マンガには吹き出しの台詞がありまして、マンガの一コマに台詞が二つ以上あるとき、

それを右から左に順に読むことが、

マンガのどうしてもゆるがせにできないお約束事になっています。

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それって、

コマの右側と左側に、実のところ、微妙な時差があるという事なんですよね。

これだけの台詞を喋るには、3秒かかります。

 

だから、コマの右端と左端の間には、3秒の時差がある、という事にしておきましょう。

 

そうすると、吹き出しのないコマだと、アクションの間の時差という事になるようです。

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  • 大男が倒れた
  • それから悟空の着地
  • それから台詞

三つの要素に、8.2秒かかります。

 

つまり、コマの右端と左端の間に、8.2秒の時差があるわけでして、

 

この感覚って、まさに絵巻物の世界ですね。

(これが日本独自かどうかというと、アメコミにもあるようなきがしますから、あんまり絵巻物を強調するのはよくない様な気がします)

 

ちなみに、映画の画像キャプチャーの場合

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ゴッドファーザー

前後の状況をうまく説明する画像であるとはいえ、あくまでもキャプチャー画像はその瞬間であり、

画面の右端と左端に時差があるというようなことはありません。

 

 

 

 

手塚治虫がマンガのスタイルを確立するときに、

チャップリンサイレント映画を参考にした と、 どこかで語っていたのですが、

 

確かに多くの点で、サイレント映画はマンガと似ています。

音がないこと。色がないこと。そして、文字による説明が挿入されること。

 

しかし、マンガにはマンガ特有の縛りがありまして、

 

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ミノタウロスの皿』 藤子F

 

マンガの場合、このコマの台詞の発話順は、向かって右側の人たちからになります。

マンガは方向に読むことを前提としているゆえの強い縛りであり、

 

これを動画化すると、

画面上どの人から喋っても構いませんし、

コマを切り替えずに、対話がどんどん続いて行ってもかまいません。

そのあたりの感覚が、マンガの原作を読んだ後には、ものすごくまどろっこしいです。

 

こういうの違法なんでしょうけど、

 

マンガだと、一つのコマに入りきらないだけの台詞の場合は、コマを変え無くてはいけませんから、必然的に画面の切り替えにはスピード感がついてくることになります。

この点は、マンガの優れた点であり、面白い点でもあります。

 

 

そして、私たちは常々、マンガの各コマの台詞を方向で読むことに慣れきってしまっていますから、

各コマの中にも に時間の流れがあることをものすごく自然なことと受け止めているようです。

(物凄く自然なのですが、なかなか気が付けないものです)

 

 

映画ドラマの脚本の中には、演技の演出上のことはほとんどかかれない、

つまり、どんな気持ちでこの台詞を喋るのか、どんな身振り手振りで喋るのかは、脚本家の職域の外、という事を以前書きましたけど、

 

言葉と同じくらいに、明白な意味の動作は、しっかりと脚本に書かれているもんです。

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あまちゃん』67話

ユイちゃんが勉さんに、声を出さないように唇に指をあてるシーン。

(言葉に翻訳すれば、「お願い、黙ってて…ねっ」)

そして、そういう動作のされた箇所の演技は、

規定された動作+役者と演出監督が考えた動作 となるので、「濃いシーン」になりやすい。

 

こういうレベルの身振り手振りについては、ちゃんと脚本に書かれているもんです。

 

 

そして、マンガの場合でも、そういうレベルのアクションに関しては明らかに、吹き出しの台詞を読む順番と同じような、アクションの順番がある、らしいです。

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こんなことを考えていると、マンガには必然的に進行方向があるのが分かるのですが、

映画の画面の進行方向は、たまたま偶然できたものにすぎず、それゆえに分かりにくくて、無意識にしかうけとめられることのないものですし、1930年代くらいまでは一般化しなかったんですよね。

 

そして、マンガの1コマの中に、実は時差があって、

それは、台詞のない、アクションだけで構成されるコマの場合より顕著になる、というのは、

鳥山明の場合は非常に顕著であり、効果的に動線が引かれており、その完成度の高さには舌を巻きます。

でも、

その発想自体は彼の発明ではなく、手塚治虫の時に大体出来上がっているもんらしいです。

 

 

 そして、『ナウシカ』の読みにくさの理由が、分かったような気がしました。

 

風の谷のナウシカ 1 (アニメージュコミックスワイド判)

風の谷のナウシカ 1 (アニメージュコミックスワイド判)

 

 このマンガ、おそらく、一コマの中に、時差が存在しないんですよね。

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これ、マンガじゃなくて絵コンテ(つまり、コマの中に時差がない)ですわ。

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