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眠狂四郎  映画の見方・実践

3章 映画の見方・実践編

眠狂四郎シリーズのかなりの本数が丸ごとyoutubeにアップされてただで見ることができます。

果たして、これでいいのだろうか、
それともいい時代になったのだろうか、という事ですが、

12本も作られた人気シリーズです。

それだけ多数作られるキャラクターシリーズは、
キャラクター設定が分かりやすく、物語も分かりやすいものです。

そして当然のごとく画面の進行方向も分かりやすくなるんですが、

1966年の日本映画の画面の進行方向はです。

基本的に 眠狂四郎向きですし、人を斬るシーンでは、必ずといっていいほどとなります。
まあ、剣豪小説の映画化ですから、人を斬ってナンボとみる側には期待があります。



そして、を向いているカットはどんな場面だろう、とチェックしてみます。



酒飲んでリラックスしているときだったり、
誰かに優しくしたりするときだったり、
男同士で淡い友情を確認するときだったり、
ピンチのときだったりします。

そして、(酒、愛、友情 ピンチ)の最大公約数は何かと考えてみます。
おそらく、「人を斬れない状態」なのでしょう。

画面で眠狂四郎を向いている状態は、彼が「人を斬れない状態」を表しているとするなら、
を向いているときは、「人を斬る覚悟ができている状態」であると言えるでしょう。

そういう風に思い込んでこの映画を見ますと、

冷酷で無頼の人斬の微細な心の動きが手に取るように感じられ、映画の意図するところがはっきりと分かるような気がしてきます。


上映開始から20分くらいのところで、画面の右側と左側の意味をこういう操作を通して読み取ります。
そして、それを基盤に残りの映画を味わっていくのですが、
この画面上の意味の確定が妥当だった場合、普通の場合の三倍くらい映画が理解できるような気がします。


そして、奇妙なことかもしれませんが、このような手法で映画について語った場合、大きく外して他人からバカにされることはまずありません。
寧ろ、極めて易々と映画の深い部分を抉り出してしまうことができるようです。


眠狂四郎シリーズには、お約束事がいくつもあります。
なかでも、魔性の女、清純な少女、謎の女が出てきて、たいてい謎の女か魔性の女と ことをいたす のですが、
その時の眠狂四郎の向きは ですね。
そうなると、
刀をフロイト的に男根の象徴とみなしてみたくなるところです。

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