ガレージを掃除して、30年前のスピーカーとアンプ、貰い物のプロジェクター、アマゾンで1万円で購入した100インチスクリーンで、自分専用のマイクロシアターが出来た。
シャッターを閉めて、窓をフェルト地の布で覆うと、昼でも真っ暗。ちなみに壁はコンクリート。
そこにリサイクルショップで買ってきた二千円の中古ソファーを置いて、
せっせと映画を見るのですが、
まあ、いままでいろいろと映画を録画してきたのですが、そのうちのほとんどを見ていませんでした。
このブログ、読まれた方なら大体わかると思いますけれど、私、同じ映画ばかり何度も繰り返してみている者でして、
「面白いか面白くないかわからん映画見るくらいなら、面白いってすでに分かっている映画繰り返し見たほうがいい」というポリシー持って、さらにはそういう映画を音楽でも聞くようにBGM(バッククラウンドムービー)にするのを習慣にし、それを何年も実行してきたのですが、
家の一区画をマイクロ映画館にすると、映画の見方も変わってきます。
以下は、私の家の中のマイク映画館での上映日誌。
『ホビット』の第一章は映画館で見たんですが、第二章は見てなかったんで、
マイクロ映画館のこけら落としの作品としました。
せっかくの大画面、大音量ですから、その特性を活かしたブルーレイ作品がいいだろうと思ったんですが、
いままで、ノートPCで映画を見るのがあたりまえだったのが、突如、場末の映画館並みの音と映像となると、
どうも馴染めませんでした。
途中で、一回中断、数日後に再開。
この手の長編映画、たいてい一番面白いのは導入部分で、それ以降はにたようなシーンの繰り返し。
第二章は、その導入部分がないので、ひっきりなしの冒険に次ぐ冒険、見てて食傷します。
まあ、私がまだミニミニシアターに慣れてなく、音と映像の刺激の強さをなめていたってのがありますけど。
15歳以下禁止とかそういう規制がこの世の中にあるのですが、それだったら15歳以上には禁止という規制もあるべきではなかろうか。
こういう映画が大手を振って歩き出すと、まともな人間の見る映画って、なくなってしまうんだろうな。
でかい画面とでかい音、それにブルーレイ、
しかし、だから何?という感慨が続く。
『ホビット』同様に、やはり、通してみることができず、数日後に再開して観了。
しかし、レンタル代100円、プロジェクターの電気代が一本あたり10円くらいだとすると、今後、映画館行くことってあまりないだろうな。
公開から半年か一年待てば済むのだよね。
マイクロシアターの実力を確かめるため、この類のブルーレイをまとめてレンタルしたのですが、
最近の映画のカメラワークのくどさ、BGMのくどさ、に辟易。
途中でやめて、再開せずに返却。
でも、後悔はしていない。
さすがにもうちょっとまともな映画でないと、通しで見ることができないように思った。
だからアカデミー賞受賞作品を見たんですが、
いつからアカデミー賞って、こうも権威が下がってしまったんだろう、と。
80年代の半ばごろからだろうか?
たぶん、一か月後には、この映画のこと自分の頭からきれいさっぱり消えていると思う。
イギリス人がとったインド映画よりも、インド人がとったインド映画見てたほうが、まあ、ましですわ。
未だにこの映画をちゃんと見たことがなかったんです。
テレビで途切れ途切れだったり、
中国の路上で売っているインチキDVDだったり。
だから、マイクロ劇場開設を機に、ちゃんと見てみましょうということになったんですが、
意外なことに、三部作のうち一作目しかブルーレイ化されていなかった。
DMMでブルーレイ作品を調べていると、
「なんでこんな作品がブルーレイ?」と思うようなのもあれば、
「えっ、これブルーレイで出てないの?」と思うこともしばしば。
この作品に関しては、
有史以前のヨーロッパの民族林立の在り様をファンタジー化しているのですが、
オークって、多分、黒人のことなんでしょう。
自分が黒人だとしたら、こういうの見るとむかむか来ると思う。
また、この手のファンタジー、スターウォーズも含めてアジア系、特にインドより東の人たちってほとんど出てこない。
この手のファンタジーって、古代中世のヨーロッパの姿を異世界に置き換えただけのものだから、
その当時のヨーロッパにはいなかったはずの中国人とか日本人が出てきたらダメなんでしょう。
出てくると、それはもうファンタジー(つまり古代中世のヨーロッパではなく)、現代社会の比喩の様相を帯びてしまうらしい。
途中で飽きた。二日に分けて観了。
ビーバー夫婦と出会うまでくらいの、物語の前半部は、とても面白い。
後半のキリスト教の比喩と説教、そしてただ長々しい合戦シーンは、あまり面白くない。
大きな箪笥の扉の向こうに異世界がある、って、
ドラえもんのどこでもドアとほとんど同じじゃないですか。
まあ、こっちの原作のほうがドラえもんよりもはるかに古いんですが。
ドラえもんの魅力って、どんな場所どんな時代に行っても、不思議な道具で状況を思い通りにできてしまうところにあるわけでして、
つまり、いつも目の前の現実を「あの道具を使ったら…」という視点で見ているわけです。
この映画でも、ナルニア国に行ったばかりの時、子供たちは、常にナルニア国を現実の世界と見比べている。そして都合が悪くなったらいつでも自分たちの世界に戻ろうと考えている。
そういう、二つの世界に二股かけている状態ってのが、おもしろいんですが、
子供たちがナルニア国にどっぷりはまって合戦に参加するころになると、もう現実の世界のことが薄れてしまい、
単一の異世界での戦争物語に成り下がってしまうんですよね。
いうなれば、ドラえもんにおいて、のび太が帰るべき家や宿題やママとパパや練馬区の家のことを思い出せなくて、ひたすら戦闘能力をストイックに鍛えているような展開。
そういうのって面白いと思います?
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二作目になると、その問題がずっと大きくなります。
金かかっているのは見てて分かるんですが、
ナルニア国での大人の権謀術数が、ルネサンス期のイタリアそのまんま。
ファンタジー世界と現実世界に二股かけて、おいしいとこどりするのがこの手の物語の利点なのに、
ただの異世界での抗争物語になり果てています。
そうなると、戦争と陰謀は大人に任せて、子供はすっこんでろ!という気になってしまうものです。
半分くらいで見るのをやめて返却。でも、後悔はしていない。
『ナルニア国』シリーズも、中途半端なブルーレイ化がされていて、三作目はDVDのみです。
思春期くらいの子供を長編シリーズの主役に据えると、どんどん成長していってしまい見てて違和感感じるくらいに大人になってしまいます。
末娘のルーシーを演じていた女の子、一作目では9歳だったんですが、もうすっかり大きくなってしまい、
いけ好かないいとこ役の子供と比べてずっと大人に見えてしまいます。
映画見ながら、タブレットでネット検索。三作目の評判は二作目以下とチェックした時点で、 観るのを止めました。
箒に乗ってのスポーツ大会までは、むちゃくちゃ面白く、
「こりゃ、確かに大ヒットするわ」と思ったんですが、
そのスポーツのルールに対しての作りこみが酷い。
もうちょっと架空のスポーツのルールを作りこんだらどうなのだ?と思ったあたりから映画にケチがつき始める。
ハリーの生い立ちは不幸なんですが、魔法学校に入学することが決まってからは、逆になんでもかんでもうまく行き過ぎ。
気のいい友達、とびきりかわいいガールフレンド、成績は常に最高位、ついでにスポーツでは飛び級レベル、とリア充全開。
なんだかなぁ、と思う。
まあ、のび太が平均レベルの体力と知力を持った上でドラえもんの道具使ったとしたら、本来はこんなもんなんだろうな。
そして、二時間半通して子役だけの演技だと、深みってどうしても出てこないわな。
さすがに後半はダレました。
主人公は実は幽霊だった、たったそれだけのネタで二時間近く引っ張る構成にはかなり無理があります。
他に何も事件起こんないですし。
ちょっとした恐怖の見せ方、ブルースウィリスのよさ、子役の魅力、微妙な動きをするカメラなど、いい部分たくさんあるんですけど、
それ考慮しても、この構成って、無理あるでしょ、などと思いつつも観了。
監督がインド人なので、お医者さんがインド人だったり、高級な指輪を購入する客がインド人だったり、とインド臭が強い。
ま、実際、アメリカに移住するインド人って、みんな金持ちらしいんですけどね。
八十年代に子供だった人なら知ってる率の高いB級ホラー。
最近リメイクされて、「さすがにこんな映画リメイクするって最近のハリウッドって変だ」と思いましたが、
んで、三十年ぶりくらいに見直したんですが、
80年代の服装って安っぽい。家の内装も安っぽい。それに80年代のアメリカ映画の照明撮影も安っぽい。シンセのBGMも安っぽい。
ニューシネマ以降の、役者の顔ってのも安っぽい。
しかし、そういうのを別とすると、無駄なところのない非常によくできたドラキュラのパロディ映画。
この映画の良さって、一人よがりのネタに陥らず、骨太に原作をリスペクトしたパロディやっているところ。
最後の骸骨が炎の中で焼けるシーン。
あれ、80年代には、迫力あるってみんな思ってたんですよね、今の子供には、ちゃちい子供だましにしか見えないと思いますが。
軽い気持ちで見始めたのですが、
どうやら、相当に面白そう。
また機を改めて見直そうと、10分くらいのところで停止ボタンを押した。
(こんな感じでずっと見ていない映画がものすごく多い)
自分の手元にあるDVDはものすごく画質が悪い。
しかし、このつまらなさは、本当に画質だけの問題なのだろうか?
パラグアイの奥地と言いつつも、イグアスの滝の回りだけを映して「秘境」です、ってごまかしてないか?
そして、この映画、本当に名作なの?
ブルーレイ化されているということなので、また機を改め、見直してみたい。
ということで、一時間弱の時点で停止中断。
(こんな感じでずっとほったらかしの映画がものすごく多い)
なんかへんなSF として知名度のある映画。
どの辺が変なのかというと、SFとは言いながらも、シェークスピア史劇のようなものにSFの皮を被せただけ。
宇宙船も科学技術もなく、
単にルネサンス期の鎧がSF調に変わっただけ。
さすがに、これは、SFなめすぎ。
15分で中断。
子供向けのファンタジーやSFを見てると、大概は美少女が出てくるんですが、
ハリポタの女の子、非の付けどころのない美少女だけど、それだけ。
ナルニア国の女の子、ブサく見える演出上の必要があるので、それなりにブサい。
そういう方々と比べると、13歳の時のジョディー・フォスターって別格。顔がどうたらというレベルでなく、かわいいオーラを半径3メールに放射してる感じ。
「いいな、いいな、かわいいな」とニタニタしてると、一時間半経ってしまった。
マーティンシーンがイケメンで家庭持ちながらもロリコンという役で出演。最近は、息子のチャーリーシーンの変態ぶりがゴシップ欄にぎわすことが多いのですが、
あの息子なら、おやじのほうも相当なもんだろうなと勘繰るようになった今日この頃。
期せずしてロリコン映画を続けて見てしまう。
12歳の女の子が6歳の弟を連れてギリシャからドイツまで無銭旅行しようとする話。
その途中でヒッチハイクさせてくれたトラック運転手が彼女をレイプ。うぁぁ…。
その他にもロリコン演劇青年とであったり。
圧巻は、駅のプラットホームで汽車待ちしている非番の兵士に、「金ちょうだい」というシーン。
『こんな小さい女の子に売春もちかけられた』と誤解しているのか理解しているのかわからないけど、それに対してどうしていいのかわからない兵士の うろたえぶりが延々と長回し。
西洋近代美術って、個々の作品が美しいかどうかなんてどうでもよくて、
美術史上の成り行きにうまくあてはまる作品に価値があるわけです。もしくは、美術史の成り行きを芸術家自身が論文として書き足し、それに見合う作品をでっちあげるのですが、
ヨーロッパの芸術映画もそんな感じでして、
個々の作品ってどうでもつまらないものばかり、ただ、映画史という一般人的にはどうでもいいものについて拘泥しているだけだったりします。
そういう事情に疎い日本の配給会社が、日本に持ってくるヨーロッパ映画って、非常に高い確率でエロ、それもロリであるような気がします。
ヌーベルバーグのフランス人たちにより持ち上げられたハワードホークスですが、
何故に持ち上げられたかというと、話の本筋と無縁のところでダラダラ引っぱるというユルさがいいそうです。
まぁ、SFなめてるだろ、としか言いようのないちんたらした前半の40分。
「この後宇宙からの怪物が出てきて大暴れして大盛り上がり」であるとしても、さすがにこの前半のユルさは許しがたい。
停止中断。一生観なくてもいいわこの映画。
しかし、いくら世界大戦で二連勝中とはいえ、月に有人ロケット飛ばすこともできなかった頃のアメリカ人が、少なくとも火星よりも遠いところからやってきたはずの宇宙人に対してやたらと上から目線。
普通に考えれば、惑星間飛行実現した宇宙人のほうが科学的にも知力的にも人類以上ってのは分かりそうなものなんですけどね。
白黒の映画って、人物の見分けがあまりつきません。それに細かい個所を目立たせるためには、大げさなカメラワークが必要だったりします。
そんなですから、物語進行させるために台詞に頼る比重が大きく、物語の序盤で登場人物がひっきりなしに何か説明的なことを言ってたりするのですが、
画面が大きくなればなるほど、字幕読んでると、画面が見えなくなってきます。
逆に、画面をくまなく見ようとすると字幕読み落とすようになります。
そういう点から、昔の映画って見るの難しいです。
またしてもロリコン映画。
まあ、大したストーリーもないんですが画面きれいです。それだけ。
『霧の中の風景』といろんな点で似てますね。
しかし、左翼映画人って映画の中で政治的挫折について泣き言いうの好きですよね。
ヒッチコック晩年の傑作。
美人過ぎないヒロインに対して観客の情が移ったころに、容赦なく殺害。
その点は『サイコ』と同じなんですが、こちらの作品ではそれを二回繰り返します。
そして70年代になると、女優を脱がしても映画会社や世間から文句言われることなくなったんでしょう、
乳首とかおしりとかを見ることができて、なんか得した気分。
ヒッチコック、見るからにエロ大好きそうな風貌ですし。
ヒッチコック最後の映画。『フレンジー』もそうでしたが、晩年の作品は自分の過去作品のパロディ度合いが高い。
ニューシネマでアメリカ映画界が一変した後の作品で、主人公のカレンブラックはバリバリのニューシネマ女優。
その他の主要メンバーも、以前のグレースケリーやケーリーグラントのような美女美男ではなく、70年代のアメリカ的な顔をした人たちばかり。
ま、面白いんですけどね。
キューバ危機についてのスパイ行為についての話。このころすでに007シリーズが始まってまして、そのせいで、諜報活動に対する私たち一般人のイメージが大きくゆがめられてしまったように思うのですが、
1968年に諜報活動の本場イギリス生まれのヒッチコックによるスパイ映画。
猟奇殺人も犯人探しもないスパイ活動だけについての映画です。
むろん007と比べるとはるかに地味ですが、それゆえにリアリティー感じてしまったりするのですけれども、
主人公は、ひたすらエージェントに頼るだけで自分はほとんど何もしません。キューバにまで行ったのに、他人にばかり働かせて、自分は現地の女とイチャイチャ。
主人公が、目的に向かって突き進まない映画ってあんまり魅力的になれないようです。
物事を小難しく悩んで見せるってのは、ヨーロッパ人の病みたいなものなんでしょう。
「私たちの目の前に有るはずのものって、本当に有るの?それとも私たちの頭の中の幻?」
そういうのどうでも、ええじゃん。
とか思うのは私がヨーロッパ人じゃないからなのでしょう。
前半、ソラリスから帰還した飛行士の尋問シーンが延々と続いて、それで眠くなります。そこで寝てしまうと、この映画のストーリーが分からなくなってしまうのですが、
単に眠い映画と難解な映画って全然違うはずなんですけどね。
『トパーズ』もそうでしたけど、この主人公も全く行動しません。ソラリス研究を打ち止めにするか継続するかの判断と、その根拠の調査を行うはずなのに、
ソラリスが彼の妻をよみがえらせると、その妻といちゃついているだけです。
ほんとに、お前は科学者か?っうとこです。
まあ、飛び切り美人の妻だから、主人公の気持ちわからないでもないんですが。
そういえば、海の波がとぐろを巻いてるシーンって、イデオンとかガンダムにそのまま流用されていました。
なに、このもったいぶっただけの映画!とか思うんですが、
あんたの好きな『2001年宇宙の旅』も似たようなもんでしょ?と言われると言い返す言葉がありません。
しかし、SFって、レーザー銃を描くことでも宇宙船のドッグファイトを描くことでもなく、100年後の室内装飾の中で淡々と時間を過ごすだけのことなんですね。
『ソラリス』に出てくる家と室内装飾、今から50年後もこんなもんなんだろうなというリアリティがありました。
面白かった。『第三の男』『落ちた偶像』のキャロル・リードの遺作。
やっぱ、カラーで色彩がはっきり出せるようになると、画面の説明力が上がるから、台紙で長々説明する必要がなくなるようです。
ていうか、この映画能年玲奈主演でリメイクできるんじゃないか?と思いながら見てたんですが、
欧米の女の子を日本の女の子に置き換えることは割と簡単にできるのでしょうが、
欧米の男女関係を日本の男女関係に置き換えるとたぶん無理が生じる。
階級社会の格差や旧植民地を含めたイギリス社会の広さは、日本を舞台に置き換えると、途端にスケールがしょぼくなる。
そしてそれ以上に、ロンドンの風景を東京の風景に置き換えるのは無理。
この映画を日本でリメイクすると、
しょうもないテレビドラマと同じ次元に落ちてしまいそうです。
この時のミア・ファローは能年玲奈と似てるなぁとニタニタするだけにとどめておくべきなのでしょう。
ウィキで調べたらショーン・コネリーの身長188センチ。でけぇ。
でも、その点を除けば、三船敏郎と結構似た感じの人でした。
同じスパイ映画とはいえ、ヒッチコックの『トパーズ』と比べると、ものすごく画面の流れが分かりやすい。
まあ、その分、複雑な心理描写がないってことでもあるんですが。
海外旅行、ムチムチの美女、スリルと冒険と暴力、人に自慢できる仕事、
まあ、男の夢満載って感じの映画でした。