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黒澤作品のワーストについて考える  第三回 プロパガンダ作品 『わが青春に悔いなし』

以下は私が選んだ あまり話題にされることのない黒澤作品群ですが、

 

1944年 一番美しく

1945年 続姿三四郎・虎の尾を踏む男達

1946年 我が青春に悔いなし

1947年 素晴らしき日曜日

1949年 静かなる決闘・野良犬

1950年 醜聞

1951年 白痴

1955年 生きものの記録

1957年 どん底

1970年 どですかでん

 

わたくし的チョイスのこれら作品は戦中戦後の10年間ほどに集中しています。

戦時中は思想統制、物資の制限から自由に映画を作れなかったこともあるでしょう。

戦後は戦後で物資が欠乏したり、東宝共産党員の労働争議で機能停止していた期間が長かったというのもあります。

また、戦後の五年間は時代劇がGHQによって禁止されていたこともあり、

 

一般的な黒澤作品のイメージ、つまり三船敏郎が豪快な侍を演じる作品って戦後五年間って作りようがなかったわけです。

 

そして、戦争も戦後のどさくさも知らないわたしのようなものは、

「戦争が終わって自由が来た」的な洗脳教育を幼少時からいたるところで受けてきたのですが、

黒澤作品を見ていきますと、戦後には戦後のプロパガンダ映画の時代があった事実を教えられます。


No Regrets for Setsuko Hara - YouTube

ほんと、日本人はことごとくこのクリップのナレーションのごとくに戦後をとらえるように洗脳されたのですが、現実はそう単純なものでもないようでして。

 

民主主義においては中学生並みの日本人に自由の尊さを刷り込むための映画としてGHQのお達しから生まれた企画なのですが、

 

高校日本史にも出てくる滝川事件にゾルゲ事件をくっつけた、かなり無理のある物語です。

 

そして史実的には、この映画の翌年にはアメリカで赤狩りの嵐が吹き荒れます。

もう一年遅れていたら、ゾルゲ事件を美化するような作品をGHQは許可しなかっただろうという気がします。

 

まあ、中学生に自由と民主主義の価値を刷り込むプロパガンダ映画ですから、あんまり面白くはないのですが、

プロパガンダ映画は一目見てプロパガンダだと観客にばれてしまうと途端に効果が半減してしまうたぐいのものです。それゆえ娯楽要素でうまくコーティングするのが常套なのですが、

主演・原節子当時26歳、彼女をアイドル的に楽しむ映画としてみると、かなりよくできているのが分かります。

前回取り上げた『一番美しく』も戦意高揚のシュガーコーティング要素として、若い女の子たちの日常を覗き見るという楽しみ方があり、

おそらく戦時の日本男児はそういう目線であの映画を見ていたのだろうと私は勘ぐるのですが、

いかんせん戦時中を舞台にした映画ですから、なかなかそう派手に美しい女の人も出てきません。

それに恋愛沙汰なんて、非国民の最たるもの。

男と女のツーショットってだけで、役所の検閲が入ったりしたそうです。

 

それに対して、こちら戦後の映画ですから、この点に関してははるかに自由できらびやかです。

何度も何度も原節子は衣装を変えてさながらファッションショーのよう。映画の中で三十回くらい衣装が変わる。

 

このシーン、原節子が藤田進の事務所に会いに来るのだが、なかなか心の踏ん切りがつかず、会わずに帰ってしまう。

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何度も事務所の前までやって来たことを描くために一分間に衣装が四回変わる。

ほんとファッションショー。

そして時代が時代だけに洋服と和服が混在するのが素敵。

原節子身長165センチ、スタイルが良いだけに何着てもよく似合う。

 


Setsuko Hara - No Regrets for Our Youth Tribute ...

それにしてもどこかの国の誰かが編集したこのビデオクリップで、原節子の動く方向と視線の方向をチェックすると、見事なまでにがポジティブ方向でがネガティブ方向であるというのが見て取れる。原節子の不安げな様子は←方向と抱き合わせであり、また黒澤いうところ「自我の確立」がこの映画のテーマであるそうなのだが、単なる子供っぽい愛らしさも方向と抱き合わせとなる。

それ以外の8割がたのシーンでは向き。映画が進行方向を持っており、それを恣意的に操作することでサブリミナル的な演出としていることがよくわかる。

(この画面進行方向に関しましては、映画が抱えるお約束事 - (中二のための)映画の見方の回についてまず読んでいただきたいところです)

 

戦後のプロパガンダ映画なのですが、この翌年にマッカーシー赤狩り、そして三年後に中国内戦終結、四年後には朝鮮戦争勃発と、

共産主義戦略が険しいものになってしまいます。

ほんの数年でゾルゲ事件をこんな風に美化したバカ映画もなかなかあり得ない時代になってしまいます。

そして現代から見ると、「ソ連のスパイを持ち上げてどうするよ?北朝鮮みたいになりたかったのか?」と真に受け止めることのできないプロパガンダ映画なのですが、

では、黒澤明がこの映画のプロパガンダ的な部分に本当に賛同していたのかどうなのかというと、

『一番美しく』と同じく、個別の状況よりもより抽象化された人間の行動美学のようなものとして描こうとしたらしいことが感じられますし、

そしてそれ以上にプロパガンダのシュガーコーティングの部分としての女の美しさを描くことにより心奪われてたのではないでしょうか。

 

極めつけはこのシーン。

夫が獄死したことを知らされて茫然自失、そして狂乱したように走り出す。

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どうも乳房の位置が低い。それで走り出すとタプタプ揺れますんで、

「あっ、ノーブラだ」

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「わっ、乳首透けてる」

 

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 「わたしバカよね、おバカさんよね、いきなり秘密が欲しいなんて」

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 女の心の乱れを、手から滑り落ちるハンドバッグのアップで描く。かなり陳腐なアイデア

成瀬巳喜男ならもう一捻りあるぞ」と思う。

黒澤は女性を描くのがうまくない、と言われますけれど、それは脚本上において女性の行動原理が男のそれと同様であるという以外に、

こういう細かい個所の女性のねちねちした心理描写にアイデアがない、ということでもあるのでしょう。

 

溝口健二が「女に後ろから切られたことないような奴には女は描けない」とおっしゃっていますが、

そういう「女ってやつは、ねぇ、は~っ(溜息)」的な理解の描き方以外に、

美女、美少女に対する男目線の萌え観点、憧れ観点から描写してしまう人たちもいます。

具体的には、宮崎駿とか大林宣彦なんですが、

そういう女性描写って、女性を正しく見ていないと頻繁にバカにされるんですが、

それなりに支持してくれる人たちも世間にはいるわけでして。

 

わたくしは、美少女も怪獣も戦争もスペクタクルという点では同じと考えるものですが、

黒澤明はこの後製作費をガンガン投じた大作監督になっていきますけれども、そういう条件に恵まれないままだとしたら、女の子を萌え的に描く職人監督になっていたかもしれない、そんな妄想をしてみました。

『一番美しく』にしろ『わが青春に悔いなし』にしろ、プロパガンダ映画としての足かせが強すぎると、この監督、萌え方向に逃げている、そっち方面に活路見出そうとしている、わたしは真剣にそう感ずる次第。

 

 

 

映画の進行方向は → なのですから、映画のゴールは向かって右側にありますし、主人公はその方向を目指します。

だから、希望の光の差し込む窓は、常に向かって右側。

これは黒澤作品のお約束事となっています。

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いわゆるイマジナリーラインの問題で、対話している人を交互に移す場合、

 

 

のように映さなければ、観客には二人が向き合っているようには見えないといわれます。

そして、その法則を小津安二郎は、割に簡単に無視しているのですが、

このイマジナリーラインの問題は、別に人と人以外でもあるわけでして、

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拘置所に入れられて絶望的な表情の原節子。窓の外に目をやり、かつて檻の外にあった過去の楽しい記憶にすがりつこうとする。

 

窓の向きが顔の向きと同じ場合、原節子は窓の外を見ているのかどうなのか?という疑問が生じるのですが、

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黒澤作品では、希望の窓は常にこちら向きでなくてはなりませんのであしからず。

 

夫が死んだあと、その実家に行って農作業を手伝う展開。

「この他に似たような作品つくるから」との安直な理由で後半のストーリーを書き換えさせられた。

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BGMと合わせると、備中ぐわで耕す原節子の姿がゴジラに見えて仕方がない。

この破壊的な描写は、ストーリーいじられたことに対する黒澤の鬱憤晴らしだったらしい。

でも、今になってみると、黒澤映画には廃墟の描写が頻繁にみられますし、その廃墟の上に新しい世界を築くというメッセージが込められていたように思われます。

新しい日本を創る、新しい大地を作る、

お嬢様が突如鍬をもってゴジラのように田圃を耕す姿に、そのようなのちの黒沢作品群を思い浮かべずにはいられないとこです。

 

『悪い奴ほどよく眠る』黒澤作品で効果的に使われた廃墟。

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二人が依然勤労動員で働いていた軍需工場の廃墟。たぶん平塚の設定。そしておそらく『一番美しく』の軍需工場と同じはず。

この廃墟の上にもっといい日本が築かれるはずだったのに、出来上がった新しい日本は汚職だらけの汚い世の中。

「でも、俺の前にはまっさらな廃墟がまだあるんだぜ。そしてこの上に新しい日本を築いてやる」

 

 

 

 

 原節子といいますと、小津安二郎の傑作群のイメージが強すぎて

もっと枯れた人と思っていたんですが、

代表作の『東京物語』で32歳。

もっと若かった時には、全然別の魅力のある人でした。

 

一番きれいだった20前後の頃が戦争の時代と重なり、彼女の一番美しかった作品の多くが戦時中のプロパガンダ作品で、後の世ではほとんど顧みられることがありません。


映画『新しき土』予告編 - YouTube

いかん、これはマジでうつくしい。おそらく日本映画史上一番の美しさ。

そして、失恋して火山で自殺。ほとんどラドンとかゴジラの怪獣映画。

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原節子って小津作品にたくさん出てたので、松竹の俳優だと勘違いしてしまうんですが、実は東宝所属でした。そして名前は芸名なんですが、それゆえに東宝シンデレラ沢口靖子に二代目原節子を襲名させようという計画が東宝にはあったらしいです。

原節子、引退してるんですけど、まだ生きてるんですよね。

そんで、二代目襲名させるってのは、なんか違和感あるんですが。

なんかのはずみで引退後にテレビに出たりすると、「初代原節子さんです」と紹介されたりしたはずですよね。

 

まあ、沢口靖子のその後って、かなり残念なものだったって私たちみんなわかってますから、この襲名計画は止めといて良かったんですが。

 

沢口靖子が仮に二代目原節子を襲名して、初代原節子と同じく40くらいで引退していたら、三代目原節子っていたんでしょうか?

沢口靖子が40歳くらいで引退したとすると、三代目原節子って10年位前に16才くらいだった新進女優に引継ぎがなされることになったはずなのですが、

今の25歳くらいで、三代目襲名できた可能性のある女優って誰かいるもんなんでしょうか?

同じく東宝シンデレラ長澤まさみ

それは違うと思います。

 


新しき土 Tochter des Samurai - YouTube


風は海からー渡辺浜子 - YouTube

日本のプロパガンダ映画って、「なぜ我々は戦わねばならぬのか」についての戦争目的を語るものってあんまりないと思います。

そんな中でも、大東亜共栄圏の設立を異議を唱える「阿片戦争」。

白人支配からアジアを開放しなくては!との主張が林則徐の口を借りて叫ばれます。

そんなもん無視しても、この原節子も美しい限り。高峰秀子公開処刑