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やりすぎ感 『あまちゃん』 吉田照幸の第三週

美人は人の注目をどうしてでも集めてしまうものであり、
美人を一人画面に配置してしまうと、見る人の視線はそこに集中してしまうもんです。

そうなると、構図に気を配って観客の視線をどこに誘導しようとか努力しても、それでも美人の方を見てしまうのが観客というもの。

あまちゃん』の二番手監督だった吉田照幸は、『サラリーマンNEO』の監督です。


大抵『サラリーマンNEO』には、やり過ぎ感横溢したキャラが出てきて、それを傍で淡々と見ている一般人代表がいるパターンが多いです。

仮にこんな方々がシリアスなドラマにひょいと出てきたら、それだけで映像クラッシャーなんでしょうけれど、
極端な美人というのも、往々に映像クラッシャーに成りかねません。そういえばドリフやとんねるずのコントには美人がよく似合いました。
日常をぶっ壊すという事に関しては美女もギャグも同じなのでしょう。



あまちゃん』一、二週の監督は井上剛、そして三週『おら、友達ができた!』が吉田照幸ですが、
最初の一、二週では橋本愛はたった二回しか出てきません。それもわりに淡々とした出演で、
特にアキとユイちゃんの電車内での出会いのシーンの橋本愛の普通具合には、拍子抜けします。

なぜ拍子抜けするかというと、その後の吉田照幸のやり過ぎ感あふれる演出スタイルがユイちゃんキャラを直撃しているからだと思います。

ヤンキーになった後のユイちゃんもやり過ぎ感あふれていました。ユイがヤンキー化する週も吉田照幸の担当であり、
「ユイちゃんのキャラは、あんたがイジってよ」という取り決めが事前にあったのでしょう、きっと。

主人公は、一般人視聴者の過剰な共感の対象であるゆえに、誰もが自分との接点を見つけやすいキャラがほとんどです。そして、それゆえにどこかのっぺりした存在感が求められているような気がします。
それと比べると脇役は、かなり具体的な人間像を示しているように私には思われます。

マンガを読んでいるときに、ふと気が向いて、登場人物のキャラに脳内で発声させてみたりすることがあるのですが、
主役キャラの声ってなかなかイメージがわかない場合が多いです。それと比べると個性的な脇役の場合は、すぐにどんな声をしているかのイメージがわいてくるのですね。

これ、私だけじゃないでしょ?


アキの場合は、絶対的な共感の対象であるのですが、それと比べるとユイは何かとエッジの立ったキャラであり、その点に関しては見ていて面白いです。


今になって、『サラリーマンNEO』の変なキャラとヤンキーユイちゃんを並べてみると、「なんだそんなことだったのか」と笑ってしまうのですが、

ヤンキー化する前のユイちゃんにしても、三陸の田舎には場違いな可愛さという具合に捉えると、
ユイちゃんって、最初から映像クラッシャー的なやり過ぎキャラなんですよね。



ごちそうさん』でも『カーネーション』でもいいんですが、普通はもっと学友とか担任の先生とか弁当食べてるシーンとかで、学生生活を描くはずだと思います。
あまちゃん』には、学校のシーンはあるのですが、それは学校生活を表現しているというよりかは、担任と憧れの先輩、それと親友のユイちゃんとの人間関係にすぎず、
大人から子供を強制的に隔離するような閉じた小社会としての学校ではないように思われます。
こんなとこからも、
あまちゃん』では学校を描きたかったわけでも、アキの年代記的な成長を描きたかったわけでもなく、地域社会の人間関係を描きたかったんだろうなと思うわけですが、

「仲良くしている人はいるけど、悩み打ち明けるような友達なんていない。でも、みんなそうでしょ」
この台詞ひとつで、普通の高校生活切って捨てるようなざっくり感がたまらない。

そして、この台詞の「友達なんかいない」は、ユイはアキを友達とみなすことはないだろうという事を意味しているのかというと、
どうやらそういう訳ではないようで、
ユイちゃん的には「北高に来なよ」という事がアキを友達と認めたという意味になるらしい。
二人の友だち関係が締結されたときに、祝福するように駅前の噴水がブアッと上がる。

「一周回って、これもアリかと思えるようになった」と小泉今日子が言ったシーン。

明らかにやり過ぎ感横溢。

ただしかし、このやりすぎ感が示す嘘くささが、のちのアキとユイの関係の紆余曲折を暗示するように思われる。
単なるギャグで終わっていなくて、ちゃんと後に続く展開を予期させるものになっているようです。


足立家の様子にしても『サラリーマンNEO』的なやり過ぎ感がありまして、

この小便小僧、オシッコ出し過ぎ。

家長の背後にナポレオン皇帝。

こういうやり過ぎ感が、「ぷぷっ」という笑いだけでなく、足立家にある歪や、長男がうまく生きられない原因、のちに妻が失踪してしまう原因を示しているように見えます、今となっては。

吉田照幸週は、やり過ぎ感が目につくのですが、それでもそのやり過ぎにちゃんと理由が付けられているのが見ていて敬服するところです。


そして
この吉田照幸演出による第三週で、もっともやり過ぎ感が目立つシーンが、これ。

「アイドルになりた〜い!」

でも、このシーンにしても、
ここまでのつながりがいいのでやり過ぎ感が心地よいのみです。


「二か月で帰って来るからだよ」と兄を馬鹿にしたような口ぶり。

今になって考えると、ユイちゃんにとって家庭が本当に楽しくていつまでもいたい場所であったとしたら、東京行きたいとかアイドルになりたいとかそういう話にもならなかったのかもしれません。
東京に行ってアイドルになるって、ある意味の家出だったのでしょう。


「どうして、そんなに東京にこだわるの?」

「えっ」
意外に小さな弱弱しい声。
誰にも言わず、それでもなお自分の在り方の核心として温めていたことを、をポツッと不意につつかれた時のような演技。

高良健吾が「橋本愛は想定外の演技を返してくるから刺激的」と言ってましたが、確かに、この声の弱弱しさは、想定外です、わたしには。

ここで、
自分の心の奥のボタンを押されたみたいに、次第にヒートアップして、しまいには「アイドルになりた〜い」と絶叫。

「悩みを打ち明ける友達なんていない」と言っていたユイが自分の夢を大声で聞かせてくれた。
これって、ある意味、恋の告白みたいなもの。


じつは、このあと電車に乗り込むまでの間、アイドルになるにはどうたらこうたらという台詞があったんですが、バッサリと全部削られています。
各回が十五分でまとまるように、削られることを想定して多少大目に脚本に台詞書いておくといいう事もあるのでしょうけれども、
このにこやかな笑顔の後に続くようなテンションの台詞ではないので、削られたのが妥当。

役者って、表情で言葉よりも雄弁になれるもののようです。

まあ、クドカンも脚本書いたときは、橋本愛の絶叫、ここまでテンション高いとは想定してなかったんじゃないでしょうか。